Monthly Archives: March 2017

AC Tunes ~ Vol.49 【Michael Franks】

今日で、慌しい年度末の3月もお終い。だというのに、季節は冬と春を行ったり来たり。まあ、その辺りの気候的なことも、「別れと出逢いの季節」の演出に一役買っているのかもしれません。

 

 

数日前に時折立ち寄る近隣の公園でちょっと散歩してみたら、植物の世界にはすでに春がやってきていました。例年のことながら、まるで「時計仕掛け」のようで、自然界はすごいなあといつも感心しきり。

 

 

 

 

先日他界した「トミー・リピューマ(Tommy LiPuma」のプロデュースによって、1970年代に一気にブレイクした「Michael Franks(マイケル・フランクス)の「THE ART OF TEA」から始まった一連のヒット・アルバムの数々については、当時のJAZZ/FUSION/AORといったジャンル好きなご同輩であれば、皆さんよくご存知かと思われます。1980年にリリースされた『One Bad Habit』も、トミー氏プロデュースのアルバムの一つですが、その中から一曲『On My Way Home To You』をご紹介。
以前にも過去記事で下の動画を使用させてもらったのですが、僕の記憶が間違ってなければ、New York 市街地のあるマンハッタン島の反対側に位置する「スタテン島(Staten Island)」から、摩天楼を遥か彼方に見る眺めなはず。ずいぶん昔、バッテリー・パーク付近のフェリー・ターミナルから運航してるフェリーに乗りこの島に渡って、結構な数の写真を撮った覚えがあります。それはそうと、すごく素敵なCUTの写真が曲にとてもマッチしてますね。

 

Michael Franks – “On My Way Home To You”
(album: One Bad Habit – 1980)
 

そしてもう一曲は、それまで数作続いてきたトミー氏から一旦距離を置き、新たにプロデューサーとして「Michael Colina」と「Ray Bardani」を迎えることによって新境地を開拓することになった、マイケルの1982年にリリースされた『Objects of Desire』から、メロウなデュエット作品をご紹介。その名も『Love Duet』とタイトルが与えられた本作品は、長い彼のキャリアの中でも燦然と輝くLove Ballad として、古くからのファンにも愛されてきた作品です。(本作は、アルバム・ジャケットに使用された「ゴーギャン」の名画「二人のタヒチの女」で当時話題を呼びました。)

 

Michael Franks & Renee Diggs – “Love Duet”
(album: Objects of Desire – 1982)
 

僕の敬愛する David Sanborn (デイヴィッド・サンボーン)による、アルト・サックス・ソロのイントロから始まるこの作品では、マイケルのジェントルで出しゃばらないいつもの囁くようなヴォーカルに、80年代に活躍したFUNKバンド「STARPOINT」の女性リード・ヴォーカリストだった「Renee Diggs(レニー・ディグス)、のsoft & Mellowなヴォーカルが相対し、そこに当時メロウネスを極めた感のあるサンボーンのアルトが絡みつくその三つ巴の様は、リリースから35年が経過する今聴いても、実に感動的な作品となっています。

 

 

 

Mellow Tunes ~ Vol.115 【Tommy LiPuma – R.I.P.】

米国のJazz/Fusionのカテゴリーで一時代を築いた大物プロデューサーの「トミー・リピューマ(Tommy LiPuma)」が、二週間前にN.Y.で亡くなった。80歳だったそうだ。


タイミングが悪く記事はUPしなかったけれど、彼の訃報の少し前の2/23には、SOUL/R&Bの世界ではやはり大物シンガーでありプロデューサーでもある、リオン・ウェア(Leon Ware)の訃報が伝えられていた。こちらは享年77歳だった。二人とも活躍のカテゴリーの違いはあれど、実に残念な知らせにがっくり来ているのが正直なところ。リオンについては、また別の機会に記事をUPしようかと思う。
 

今回は、僕が若い頃からとても大きな影響を受けたアーティストたちのレコードの裏ジャケに、かなりの確率でその人の名前が「PRODUCER」としてクレジットされていることが多かった、トミー・リピューマについて、膨大な量の彼の仕事の一部を、少しだけ振り返ってみたいと思う。

Tommy LiPuma (July 5, 1936 – March 13, 2017) was an American music producer. He received 33 Grammy nominations, 5 Grammy wins, and sold more than 75 million albums. LiPuma worked with many musicians, including Barbra Streisand, Miles Davis, George Benson, Phil Upchurch, Al Jarreau, Anita Baker, Natalie Cole, Claudine Longet, Dave Mason, the Yellowjackets, Michael Franks, Diana Krall, Paul McCartney, Ben Sidran, The Crusaders, Joe Sample, Randy Crawford and Dr. John.
[出典] Wikipedia

ウィキペディアの日本語版ではあまりに雑で貧弱かつ少し古い情報だったので、英語版による彼のBIOが上のような感じだ。今年に入ってグラミー賞の受賞式の最中に訃報が伝えられ、当ブログでも追悼記事をUPした愛すべきアル・ジャロウの名も確認できる。いずれにせよ、これだけの大物アーティストたちのサクセス・ストーリーの影には、常にそこへ導くだけのアルバムの製作総責任者である「プロデューサー」の存在が欠かせない。思うに、1970年代~1990年代中期頃における米国の音楽界での「プロデューサー」の役割・権限・責任は甚大であり、それが世界的なレコード(CD)セールスに繋がれば、尚更に大きな影響を及ぼすほどの「最重要」のポストであったことは、現代のそれとは比ではなかったように記憶している。極端な例で言えば、“King of Pop”「マイケル・ジャクソンの誰でも知ってるアルバム「スリラー」や「オフ・ザ・ウォール」の地球規模ともいえるサクセス・ストリーは、超大物プロデューサーであるクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の存在を抜きにしては語れないし、また70年代の「カーペンターズ」の黄金期を彩った、僕も古くから敬愛するバート・バカラックの存在なども忘れてはいけない。

音楽のカテゴリーはともかく、トミー氏や御大「クインシー・ジョーンズ」だけでなく「アリフ・マーディン」「フィル・ラモーン」、エンジニア出身で有名な「アル・シュミット」そして少し遅れてデイヴィッド・フォスターなども、大きな影響力を持つプロデューサーとして広く認知されていたことは、僕と同じ時代を生きてきたブログ・リーダーの方々であれば、「そうそう」と頷いてくれていると思う。

この時代のプロデューサーというのは、自身がミュージシャン出身であっても自分で楽器を担当したりすることなく、とにかく「アルバム製作」における、起用するミュージシャンの手配であるとか、レコード会社との予算編成やプロモーション等々、とにかく「良い作品」を作る為に可能な限り出来ることを全てやるという、いわゆる一流の職人同士を橋渡しする「コーディネーター」としての役割が顕著だったような気がしてならない。古今東西「プロデューサー業」に携わるのは男性が多数ということもあるので、かなりの「男気」と、売り手(レコード会社)と買い手(リスナー)のニーズを嗅ぎ分ける「抜群の嗅覚とバランス感覚」、この時代の「プロデュサー」と呼ばれる職人たちには、そんな能力が今以上に必要とされていたのではないかと思う。

お待ちかねのニュー・アルバムが米国や欧州から空輸されやっと通関が済み、日課のように通った都内のレコード・ショップの店頭に並んだ際、レコードの裏ジャケットにお馴染みのこの人たちの名前とお抱えの超一流スタジオ・ミュージシャンのラインアップを確認しただけで、胸が躍りワクワクしたものだった。TOWER RECORDS」「CISCO」「disk unionの店頭で敢えて『試聴させてください』とお願いすることなしに、かなりの確率でそのアルバムの内容は想像でき、脳内ではそれらしきサウンドが鳴り始めるほどで、またそれだけ彼ら「プロデューサー」の名前が、新譜購入時の「担保」になるほどの存在であったことは、間違いのない事実だった。1980年代の話だけれど、いやあほんとにあの時代が懐かしい。

80年代ボズ・スキャッグスはじめAORの分野で花を咲かせ、いまや「HITMAN」などと形容されるデイヴィッド・フォスター、90年頃から台頭してきたR&B界の二大プロデューサーコンビのベイビー・フェイス&L.A.リード」「ジミー・ジャム&テリー・ルイスなど、アーティストでありミュージシャンでもある彼らは楽器も演奏しバック・コーラスにも気軽に参加したり、また自身の作品だけでなく他人の作品のプロデュースにも広く関わっていくようなプロデュース形態が目立ち始め、「プロデューサー」という役割に徐々に変化の兆しが見られるようになってきたのも、おそらくこの時代あたりからだったような気がする。

まあ呆れるほどいろんなプロデューサーの名前が挙がってしまったけれど、「トミー・リピューマ」とはそんなスーパー・プロデューサーの中でも、玄人受けする「昔気質」のプロデューサーだったと思う。そんなトミー氏の数ある名盤と評価されるプロデュース作品群の中から、相当難しいチョイスとなったけれど、2つのアルバムを取り上げてみたい。

死しても「ジャズ界の帝王」に君臨するあの『マイルス・デイヴィス(Miles Davis)』が音楽活動の最終期に差し掛かる時期の1986年に発表した、世界中で優れた評価を手にしたアルバム『TUTU』。反アパルトヘイト運動の活動家であり、1984年にノーベル平和賞を受賞した「ツツ司教」の名をアルバム・タイトルに冠した本作は、晩年のマイルスのアルバム製作だけでなくライブでの演奏にも常に帯同し、その才能を高く評価された今やスーパー・ベーシストでありスーパー・プロデューサーの名を欲しいままにするマーカス・ミラー(Marcus Miller)」とトミー氏との共同プロデュースとなっている。
マーカスが創り上げた前人未到の重厚な楽曲の数々を、帝王マイルスが自由自在に吹くミュートの効いたトランペットで色を与え、「Soloist (ソリスト) 」の一人として参加しているような、そんな印象が強いアルバムだ。おそらくトミー氏の数あるプロデュース作品の中でも、屈指の傑出した作品となって後世も評価されていくことだろう。帝王マイルスが天に召される生前に、この曲の演奏をライブで体験できたことは、もはや僕の生涯の宝物なのは言うまでもない。

 

Miles Davis – Tutu (album: TUTU – 1986)
 


Miles Davis – “Tutu” Medley (Directed by Spike Lee – 1997)
 

 

そして、もうひとつチョイスしたのは、このブログでも何度も取り上げている英国出身の、僕の中ではこの人たちを越える男女Duoはもう出現しないであろうと思うくらい大好きな、エヴリシング・バット・ザ・ガール(Everything But the Girl: EBTG)が米国進出を賭けてプロデュースをトミー氏に託したアルバム『The Language of Life』が、それだ。
 
1990年にリリースされた、「EBTG」にとって5作目となる本作はデビューアルバムの「EDEN」と並ぶ最高傑作との評価も高く、彼らとしては初の米国でのレコーディングが、トミー氏からの直接のアプローチにより実現したというのは有名な話。トミー氏から「どのミュージシャンを呼びたい?」と尋ねられた彼のコンタクト・リストには、いつでも駆けつけてくれる超一流ミュージシャンの名前がずらっと列記してあったとか。LAのスタジオでのレコーディングにはこれまでトミー氏が懇意にしてきた超一流のミュージシャンがずらりと勢揃いしたこと、既に他界したJAZZ界のレジェンドでもあるサックス奏者のスタン・ゲッツ」「マイケル・ブレッカーら当時考えられる超一流のスタジオ・ミュージシャンらによって繰り広げられたレコーディングは、当時のマスタリング技術面も含め贅沢を極めた作品として、楽曲やアレンジの完成度とともに、当時大変な驚きをもって世界中に知れ渡ったものだった。
 

 

 


Paul McCartney – ‘Kisses On The Bottom’ making story – 2012

そういえば、晩年になって、あの「ポール・マッカートニー」に遂にJAZZ Vocalアルバム『Kisses On The Bottom』までリリースさせてしまったことは、トミー氏ならではの手腕としかいいようがないかも。

 

天才プロデューサーの名を欲しいままにしていた「トミー・リピューマ」の遺作に触れるには、あまりに時間とスペースに限りがあるので、またいつか記事をUPできればと思いながら、彼の偉大な功績を讃えると共に、安らかなご冥福をお祈りしたい。

R.I.P. Tommy…

 

 

AC Tunes ~ Vol.48 【Euge Groove & JC Chasez】

毎年この時期になると記事に書いている気がしますが、この時期は「三寒四温」を繰り返し、季節が徐々に「春」に進んでいくこの国独特の期間と言えます。今日は真冬に逆戻りの、寒い一日となりました。
寒い日には、なぜだか温かい珈琲と同じように、ちょっとメロウな大人の音楽が欲しくなるものです。

 

過去に一度「Mellow Tunes ~ Vol.100」で紹介したことのある Euge Groove(ユージ・グルーヴ)は、そんな肌寒い日にはもってこいのアーティストかもしれません。彼の吹くサキソフォンはアルトであれテナーであれ、いつも艶があって歌うように聴こえる独特の表現力を持っているような感じがします。SOUL/R&B/FUNKなど、本当に心底好きで強く影響を受けたであろうと思われる彼のプレイを一聴するだけで、そんなパッションがビシビシと伝わってくる、大好きなサックス・プレイヤーの一人です。

2000年にソロデビューした際の自身の名を冠したアルバム『Euge Groove』では、当時米国はもちろん世界的にも人気のあった BOYS GROUP「’N Sync」(イン・シンク)のメンバーだった JC Chasez(JC シャゼイ)をゲストに迎えて、JC作曲の彼らの持ち歌でもある『Give In To Me』をリメイクして収録しています。

 


Euge Groove & JC Chasez / “Give In To Me”
(album: Euge Groove – 2000)

 

JC‘N Syncのデビュー時の1995年に若干18歳で書いたというこのスーパー・メロウな作品は、ユージのまとわり付くような色気のあるサックスと出逢うことによって、さらに大人のための Adult Contemporary Tune へと昇華しているのが素晴らしいところです。
興味のある方は、この作品にチャレンジする若き ‘N Sync の面々の、フロリダでの SHOW CASE LIVE も一聴の価値ありです。当時18歳の「JC」のマチュアなヴォーカルと、Wリード・ヴォーカルでその後ソロでもブレイクする彼より4歳年下の Justin Timberlake(ジャスティン・ティンバレイク)の幼さの残るパーフォーマンスは、今となってはなかなか興味深いものがあります。

 

‘N SYNC “Pleasure Island Showcase” – “Give In To Me” – 1995

 

年代的には、この辺りの BOYS GROUP の作品に触れることはほとんどありませんでしたが、JC のように類稀なソウルフルなヴォーカリストに出会うと、ちょっと嬉しい気分になりますね。

 

 

Mellow Tunes ~ VOL.114 【Carla Bley】

3月に入ってから、日中は比較的温かい日が続くことが多くなってきました。
お休みの今日、ふらりと立ち寄った近隣の公園の梅が綺麗に咲き始めていました。花壇の植込みのパンジーたちも色鮮やかで、「ああもう春が来たんだなあ」と実感する今日この頃です。

 

 

 

こんな季節の変わり目に、この美しくピュアでとびきりメロウな作品で、聴けるピアノの音色に、身も心も癒されるようです。Carla Bley の1987年リリースの、実力派ミュージシャン6人編成による「六重奏」を意味するアルバム『Sextet』より、名曲『Lawns』をお聴きください。

 

 

 

珈琲、もう一杯いかがですか。

 

Carla Bley

 

【雑記】”All Things Must Pass” – 音楽産業の栄枯盛衰

やっぱり1970~80年代の音楽が、聴いてていちばん心地いいかもしれないなあ。
とにもかくにも「メロディ」が大切にされてた時代なんですよね、どのカテゴリーの音楽を聴いてもそんな印象があります。

 

「タワーレコード」の栄枯盛衰の歴史を綴ったドキュメンタリー映画

 

国内では90年代初頭にバブルが崩壊し、国際社会に目を向ければその後の「リーマン・ショック」や「テロ」などによって国際的な秩序の崩壊や経済的不況がはびこり、時代が混迷を極めたここ20年ほどで、趣味や娯楽である「音楽」の世界も良くも悪くも大きな変貌を遂げました。それは音楽を発信・供給をするサプライヤー側も、受容する側のリスナーを取り巻く「視聴する環境」の劇的な変化、つまりは「iPod」の登場による従来の「再生機器」とCDを主とする「メディア」の均衡の崩壊が始まり、音楽という産業全体の構造がすっかり変わってしまった「過渡期」が、特にこの10~15年くらいの間で発生していたんじゃないでしょうか。

これまで「現物」として存在していたソフトであるCDなりアナログ・レコードを「所有」することから、「Apple」「Spotify」に代表されるような、「配信」という姿カタチのないお化けのような「音楽ファイル」つまりは「データ」を個人で蓄積していくようになり、挙句の果てには「クラウド」という発想のシステムに変わりつつある状況が、もう僕らの身の回りに普通に存在しています。
このとてつもなく大きな変化を「進化」と捉えるべきなんでしょうが、ことハードの面では便利になったとはいえ、個人的にはあまり好ましい進化ではなかったかもしれません。発信されてくるソフトである音楽の「質=Quality」に関しては、録音やRe-Mixといった技術的側面から言えば当然向上してはいるものの、「楽曲」そのものがどこか画一化していて、従来からあったはずの美しい「メロディ」をどこかに忘れてきてしまったような、なんだか後ろ髪を引かれるような、そんな「物足りない感覚」がいつもずっと自分の中にくすぶっていたというのが、自分の本音と言えましょう。昨今の、80年代音楽のリバイバルと共にLP(アナログ盤)やカセット・テープなどが見直されてきているような事象も、そんな高度にデジタル化してしまった我々を取り巻く、なんだかゴツゴツした窮屈な環境に対するアンチテーゼなのかもしれません。結局は、音楽を聴くのは「生身の人間」であることは永遠に変わらない事実なのですから。

 

 

かつては、世界5大陸30カ国に200店舗を有する大手レコード店チェーンに肥大化したTOWER RECORDSも、時代の流れに翻弄され、現在では日本を除く世界中から実店舗が消滅してしまったのを、皆さんご存知でしょうか?「タワー・レコード」という巨大レコードショップの誕生から消滅までを描いた、名優「トム・ハンクス」の息子で自身もハリウッド俳優として活躍する「コリン・ハンクス」が監督を務めた映画「オール・シングス・マスト・パス」は、そんな激動の時代を描いたドキュメンタリーだそうです。近いうちに必ず観てみようと思っています。
“All Things Must Pass”    とは、すでに故人の George Harrison (ジョージ・ハリソン)が THE BEATLES の解散直後の1970年に発表したソロ・アルバム・タイトルで、時の移ろいと共に「すべては過去のものになっていく」といった意味で、いかにもタワーらしい潔いくらいのタイトル・ネーミングだなあと、なんだかすごく共鳴してしまいました。

過去に一度だけ、米国の旗艦店舗でタワーのシンボル扱いだった、ウェスト・ハリウッドのサンセット大通店をレンタカーを駆って訪れたことがありますが、当時は「マイケル・ジャクソン」の勢いがピークだった1980年代後半で、わくわくしながら店内に3-4時間位は滞在した記憶があります。もちろん、それ以外の全米主要都市の店舗にも、あちこちと足を運んだことがありました。日本国内でも同様でしたが、「どこかの街に着いたら、まずはタワーへ」といった感じの日々を、若い頃は過ごしたものでした。そういう意味では、今以上に世界中で「音楽」がそういう「熱」を持っていた、いい時代だったのかもしれません。

 

“All Things Must Pass: The Rise and Fall of Tower Records”
 

僕が経営していた実店舗の「Mellows」がなくなってからもこのサイト(ブログ)を続けてきたのも、そんな思いが強くて「いい時代にあった、いい音楽」を継承していくべきという視点から、こんなこと続けてる奴が世の中にいたっていいだろうという思いで、今日までマイ・ペースでやってきているのが実情なわけです。

ここのところよく文字にして表現してますが、若手の「ブルーノ・マーズ」の大活躍によって、よき時代の音楽のあるべき姿が戻ってきているような気がしてなりません。例えば彼の最新アルバム「24K MAGIC」を例に取ると、かつてのアナログ・レコードで考えたらベストな9曲程度の収録数とはいえど、POPSとして質の高い楽曲の数々は練りに練られたアレンジで構成され、素晴らしいプロデュースが成されているわけです。この「配信」がメインで「一曲ごと購入」の時代に、「アルバム」としての価値を再確認させるだけの内容の作品を世に出したことは、もう大変意義のあることですね。今は亡き「プリンス」が生前最後の昨年のグラミー授賞式のスピーチで、「みんなアルバムって覚えてるかい?」と観衆に問い掛けたのは、そんな事態を危惧したゆえの発言だったと思うんですよね。アーティストとしては、「アルバム」として聴いて欲しいわけですから。

音楽産業の構造は大きく変化してしまったけれど、人々が音楽が好きで、それらが自分の人生の傍らにいつもあって、尚且つ心の支えになっているという不変の事実は、たとえ時代が移ろっても変わらないはずだから。