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Mellow Tunes ~ Vol.161【Brian Culbertson ft. Howard Hewett】】

いつもご訪問ありがとうございます。
数日間暖かい日が続いたら、また冬へ逆戻り。文字通りの「三寒四温」を繰り返し、春を迎えるのは例年の習いですね。毎年この時期に感じることではありますが、地球と自然界のリズムとは、まるで機械仕掛けのように正確なのでは、ということです。
近隣の公園では、梅はもう八分咲きで、気の早い「河津桜」に至ってはもう満開です。自然の営みには、いつもびっくりさせられます。

 

 

当サイトでは、もう何度取り上げているか分からないほど、Quincy Jones(クインシー・ジョーンズ)という歴史的な大物プロデューサーが、20世紀における「BLACK MUSIC」(R&B/Soul/Funk/Jazz)のみならずポピュラー・ミュージックにも多大な影響を与えたのは、もはや説明は不要ですね。(ご興味のある方はリンクをご参照ください)
そのクインシーが、1989年にリリースした名盤『Back on the Block』に収録され、アルバムのラストを飾る『The Secret Garden (Sweet Seduction Suite)』は、もはや Mellowness の究極のカタチと表現してまったく差し支えのない楽曲として、21世紀の現代でも燦然と光り輝く存在です。
下記の通り、ソング・ライティングはもちろんのこと、ヴォーカル・パフォーマンスを披露するメンバーのラインナップも尋常ではなく、それは当時のファースト・クラスのアーティストの面々が、御大クインシーの下に集い完成させるに至り、20世紀の世に出た「傑作」として今後も永久に語り継がれていくであろう楽曲です。作曲には、永らくクインシーの文字通り「右腕」だった、Rod Temperton の名前も当然の如くクレジットされています。

Personnel:

Songwriters:
Quincy Jones, Rod Temperton, Siedah Garrett and El DeBarge

Barry White – Lead Vocals
Al B. Sure! – Lead Vocals, Background Vocals
Siedah Garrett – Background Vocals
El DeBarge – Lead Vocals, Background Vocals
James Ingram – Lead Vocals
Jerry Hey – Arranger
Steve Lukather – Guitar
Neil Stubenhaus – Bass guitar
John Robinson – Drums
Bruce Swedien – Recording Engineer, Mixing, Kick & Snare Drums
Bill Summers — hindewhu
Greg Phillinganes – Fender Rhodes
Larry Williams – Keyboards, Synth Programming
Rod Temperton – Arranger
Quincy Jones – Arranger

 

いやはや恐ろしいくらいの陣容ですが、この作品のカヴァーに果敢にチャレンジしたのが、このサイトでも何度も取り上げている、スムーズ・ジャズ界きってのメロウなキーボーディストの「Brian Culbertson」です。元 SHALAMAR(シャラマー)のリーダー Howard Hewett(ハワード・ヒューイット)をゲスト・ヴォーカリストに迎え、それはそれはクインシーのオリジナルに負けないくらいの、素晴らしく上質なカヴァーに仕上げました。
ブライアンの1999年にリリースされたアルバム「Somethin’ Bout Love」には、Instrumental のヴァージョンも併せて収録されております。どちらも、大変な力作のカヴァーとなっていますね。

 

Brian Culbertson ft. Howard Hewett – “The Secret Garden”
(album: Somethin’ Bout Love – 1999)
 

 

 

Quincy Jones のオリジナル・ヴァージョンはこちら。


“The Secret Garden” – Quincy Jones, Barry White, James Ingram,
Al B. Sure, El Debarge

(album: Back on the Block – 1989)

 

 

Mellow Tunes ~ Vol.157【Leon Ware】

北陸地方や北日本に長く停滞した寒気団もようやく緩み、ここ関東地方では今日に限ってですが、さながら3月中旬並みの最高気温まで上昇しました。明日からはまた真冬へ逆戻りということですが、そんなことを例年のように繰り返しながら、やっと春がやってくるんですね。

 

 

さて今回の「Mellow Tunes」ですが、ちょうど一年前の2月23日に世界中のR&B/SOULファンからたいへん惜しまれながらも、77歳でこの世を去った、「Leon Ware」(リオン・ウェア)を取り上げようと思います。
Marvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)に提供したSoul Classicの名曲『I Want You (1976)』をはじめ、それはもう数え切れないほどの「Mellow Tunes」を生み続け、メロウでロマンティックでそして官能的な楽曲で世界中のリスナーを虜にしてきた「リオン」ですが、当然ながら活動期間が長きに渡る為、ただでも長いのが、長すぎる記事とならぬよう、掻い摘んでご紹介をいたします。

1972年に自身の名を冠した1st.Album「Leon Ware」を United Artists Records から既にリリースしていたリオンは、彼のソング・ライティングの才能があの大御所Quincy Jonesの目に留まり、クインシーのアルバム「Body Heat (1974)」に、自身が書いた『If I Ever Lose This Heaven』がアルバムのラストに収録されるという、大変名誉な出来事がありました。しかも、この楽曲を一緒に歌ったのは、まだブレイク前夜であったミニー・リパートンでありアル・ジャロウでした。「リオン・ウェア」「ミニー・リパートン」「アル・ジャロウ」のトリオによるコラボなんて、三者がすべて「Big Name」となった現代では考えられない出来事であり、曲が書かれた1973年の時点で、彼らの才能を当時既に見極めていた御大「クインシー」の「凄み」とは、もう末恐ろしいというしかありません。
R&B/SOULを語る際、後に「レジェンド」と呼ばれるこの方々は絶対に欠かすことのできない三人ですが、当サイトのご訪問者の皆さんであればよくご存知の通り、残念なことに「ミニー」は1979年に31歳で夭逝、そして「アル・ジャロウ」は昨年2017年の「グラミー」開催中に訃報が伝えられました。そして彼のトリビュート記事を当ブログでUPして間もなく、2月に入り前立腺癌の治療中だった「リオン・ウェア」までが、帰らぬ人となってしまいました。思い起こせば、もうそれは「悲しみの連鎖」という以外ありませんでした。
そんな歴史も踏まえ、今では故人となってしまった三人が、まさに「ブレイク前夜」ともいえる時代のレコーディングで一同に会した、歴史的な作品『If I Ever Lose This Heaven』からお聴きください。

 


“If I Ever Lose This Heaven” – QUINCY JONES
ft. Minnie Riperton, Leon Ware & Al Jerrau
(album: Body Heat – 1974)

 

クインシーに大抜擢された「リオン」のソング・ライティングの才能は目覚しい勢いで開花し、遂には当時のR&Bの「アイコン」であった大物「Marvin Gaye」(マーヴィン・ゲイ)の目に留まり、後に名作の呼び声高いマーヴィンのアルバム『I Want You』で、決定的となりました。元々は「リオン」が「ダイアナ・ロス」の弟の「Arthur “T-Boy” Ross」と共作し、リオン自身の作品として世に出す予定だった『I Want You』を、どうしても自分が歌いたいと主張する大物スターのマーヴィンに譲渡することと引換えに、リオン自身の2作目のオリジナル・アルバム『Musical Massage』のリリース権を「MOTOWN」より得たというのが、マーヴィンの名作『I Want You』誕生に関するエピソードとして、その後によく語られています。
それでは「リオン」によるメロウ・サウンド全開ともいえる『I Want You』をどうぞ。

 


Marvin Gaye – “I Want You”
(album: I Want You – 1976)

 

マーヴィンに泣く泣く譲渡したリオンの作品『I Want You』によって、リオンはいよいよ2作目のオリジナル・アルバム「Musical Massage (1976- Motown)」をリリースするものの、残念なことに大きなヒットとはならず、レーヴェルをその都度替えてリリースしたその後のアルバム「Inside Is Love (1979 – Fabulos)」「Rockin’ You Eternally (1981 – Elektra)」も、一定の評価を得るものの、クインシーやマーヴィンの作品としての価値とは、違う評価が与えられていたのかもしれません。一方日本国内や欧州では、再び「リオン」自身の名前を冠した「エレクトラ」レーヴェルから改めてリリースした、『Leon Ware (1982 – elektra)』から、当時のA.O.Rの流行に伴った「Adult Contemporary Music」の需要がピークを迎えていた背景もあり、リオンのメロウでロマンティックで洗練されたサウンドは、当時の世相にマッチして、熱狂的なコアなファンを世界中に増殖させるに至りました。
彼の名刺代わり的な作品として伝わる『Slippin’ away』は、そんな当時を代表するような音楽の一つとして受け容れられていたように思います。日本国内での『メロウ大王』という呼称も、彼の為に付けられたものでした。

 


Leon Ware – “Slippin’ away”
(album: Leon Ware – 1982)

 

その後は時代と共に、自らのアルバムを数年おきにリリースしながら、また同時にマイ・ペースで多くのアーティストへの楽曲の提供やプロデュース業に、軸足を移していったような印象がありますね。

僕は苦手なのであまり聴く機会はありませんが、現代のHIP-HOP分野のアーティストからのリスペクトは大変なもので、多くのアーティストにサンプリングされる機会も多いようです。
そして、昔から音楽カテゴリーとしての「JAZZ」もJAZZのミュージシャン・アーティストの多くが、欧州では本場米国以上に大変リスペクトされるように、「リオン」もその例外ではないようです。
2008年「オランダ」で人気のある SOUL BAND「Liquid Spirits」が「リオン」を招聘してリリースした『Melodies Ft. Leon Ware』という作品は、もはや「メロウネスの極致」としか例えようのない楽曲として、世にリリースされました。

 


Liquid Spirits – Melodies Ft. Leon Ware (2008)

 

また、晩年になり、かつて「Mellow Tunes ~ Vol.37」でも一度取り上げましたが、イタリアを代表するJAZZ/SOULシンガーとして君臨する「Mario Biondi」(マリオ・ビオンディ)との、大人の男二人によるDUETは、もう鳥肌モノのコラボレーションとなっています。このアルバムのプロデュースを買って出たのは、英国ジャズ・ファンクの大御所ユニットであるINCOGNITOのリーダーでもあるジャン・ポール・“ブルーイ”・モーニックで、ブルーイの「リオン」に対するリスペクトは相当なものであることが窺えます。

 


Mario Biondi (feat. Leon Ware) – “Catch the Sunshine”
(album: SUN – 2012)

 

 

 

まだまだ沢山あるのですが、一度では無理なので、今回はこの辺りで終わります。
Leon Ware(リオン・ウェア)という「メロウなレジェンド」と出逢えたことを、本当にありがたく思います。

また、この記事中に登場した三人の「R&B/SOUL/JAZZ」を語る上でのレジェンドである、Al Jarreau (アル・ジャロウ)、Minnie Riperton (ミニー・リパートン)、Leon Ware (リオン・ウェア) の、ご冥福をあらためてお祈りいたします。

R.I.P.
Rest In Peace [安らかに眠れ]

 

 

Mellow Tunes ~ Vol.147【CHEMISTRY】

「少し早いかな」と例年感じる「暦」の上での『立冬』から、10日も過ぎる頃には、しっかりと晩秋から冬に変わってゆく「小さな足音」が、遠く彼方から「ひたひた」と近寄ってくるような印象が強くなってきます。そう、それは北の方角から吹き寄せてくる「風」であったり、落ち葉が路上で擦れ合い舞い上がる「カサカサッ」といった音であったり、この時期の季節の変わり目を象徴するような自然現象に、たびたび目や耳を奪われる機会が増えてくるものです。この国の美しい季節「秋」も、そろそろ見納めの時期でしょうか。

 

 

そんなあらゆる郷愁の想いにかられるこの Mellow な晩秋の季節に、あの「川畑・堂珍」コンビによる『CHEMISTRY』が、いよいよ表舞台に帰ってきました。CDが本日(11/15)発売となった、6年ぶりとなるユニット再始動シングル『Windy / ユメノツヅキ』は、昔のシングル・ドーナツ盤で言うところの「両A面」、つまりはダブルリード曲のシングルという具合。

このブログでは、川畑君が鈴木雅之氏とDuetした大人のバラッド作品『Half Moon feat.鈴木雅之』を一度取り上げただけで、「CHEMISTRY」としての作品を取り上げることはありませんでした。
その理由とは、1999年に民放TVのオーディション番組を発端とした彼らのデビュー以前から、一貫して総合プロデュースに携わった「松尾潔」氏が深く関わっていた頃から、その後の彼らの目指す方向性が期待と大きく変わってしまい、とても残念な思いを感じていたからでした。
国内邦楽のPOPS史上我らが大先輩にあたる「桑田圭祐」氏率いる SOUTHERN ALL STARS がかつて世に放った不朽のバラッド『いとしのエリー』と双璧を成すほどの、バラッドの名作『You Go Your Way』をはじめ、プロデュサーとして彼らにいちばん相応しい方向性を見出していたのは、誰あろう「CHEMISTRY」の生みの親である「松尾さん」だったのは、誰の目から見ても明らかでしたから。でもね、それでいいんですよ。誰だって、若い時期だからこそあれもこれもチャレンジしてみたいというのは、当然の成り行きであり「通過点」だったわけで、公私に渡り多くの経験をお互いに積んだ二人が、ようやくその「あるべき場所」というか「立位置」に帰ってくるのを、おそらく多くのファンはずっと耐えて耐えて待っていたような気がしてます。無論、僕もその内のひとりなのは言うまでもないのですが。

 


CHEMISTRY 再始動後初シングル『Windy』MV

 


CHEMISTRY 『ユメノツヅキ』Lyric Video

 

「ユメノツヅキ」のメイキングPVからも伝わってくるように、なんと14年振りにプロデューサーとして二人の再始動を再び支えた「松尾さん」は、作詞もそうですが「Total Producer」としての仕事振りが、文句なしに素晴らしいと言えるのではないでしょうか。「やっぱり、この三人だからこそ」といった、会心の復活劇です。僕は主に洋楽を聴く立場にありますが、これほど久しぶりに「日本語の歌詞」にハッとさせられるのは、大御所作詞家の「松本隆」さん以来でしょうか。実は僕は、元々「松尾さん」が20代の学生の「音楽ライター」であり「物書き」だった頃からの、何百というR&Bはじめブラック・ミュージックのレコード・CDのライナー・ノーツをあきれるほどに拝見してきています。ご本人の著書を読んでいただければすぐに気がつかれると思いますが、もとより美しい文章を書く方ですが、人間の繊細な感情を改めて文字にするというのは、決して簡単な作業ではありません。

前回の記事でも、また過去にも何度も触れた話題ではありますが、配信の時代で「アルバム」が受け手に届きにくくなった現代の音楽産業や環境においては、過去のように「プロデューサー」の重要性が年々希薄になりつつあるような印象が強くあります。
真に実力のある「プロデューサー」とは、アルバムや楽曲ごとに適切な演奏家・作曲家・作詞家・編曲家・デザイナー等々、自身の人脈を総動員して多くのブレーンを集めることが可能となります。世界に目を向ければそれは、『We Are The World』における「Quincy Jones」(クインシー・ジョーンズ)であり、Jazz の世界では「Tommy LiPuma」(トミー・リピューマ)であったりするわけですが、つまるところ、それくらい受け手であるファンやリスナーが聴きたいと思っている作品であると同時に、送り手であるアーティストが納得できる「Win-Win」な方向性を総合的に判断できるのが、真のプロデューサーなのだと思います。

すこし御幣があるかもしれませんが、我々のように1970~90年代に本物の洋楽を聴いて育った世代は、中途半端なサウンドだとか物真似や見てくれだけのパフォーマンスなどでは、ただの1ミリさえも心が動くことはありませんし、その辺りが自ら能動的に「聴く行動」にでるかどうかの「基準」になっていたりします。そういった意味でも、表現者である「CHEMISTRY」やプロデューサーの「松尾さん」の存在意義は、非常に大きいものと思えます。3曲目に収録された国内若手アーティスト二人の「Alfred Beach Sandal + STUTS」による、うねるベースと FUNK 感溢れる素晴らしい楽曲『Horizon』のカヴァーを、「CHEMISTRY」に提案するあたりも、松尾さんならではの目利きぶりで、新時代の「CHEMISTRY」の新たな魅力と可能性を示していて、もうこれは流石としか言い様がありません。

国内のヴェテランを除いた若手アーティストの中で、現在この二人を凌ぐ Vocalist は、まず見つからないでしょう。世界を見渡しても非常に稀有な「男性DUO」である二人は、「松尾さん」がユニットを命名する際に感じたその『音楽的化学反応』(CHEMISTRY) は、これからも時を経て更に進化を続けていくことでしょう。
おっさんの楽しみが、嬉しいことにひとつ増えました。

 

[Yahoo!特集記事]に、CHEMISTRY松尾潔プロデューサーの対談が掲載されました。「パフォーマンス重視のグループばかり、歌を大事にしている人が少ないなと感じた」という川畑氏の語る部分には、もう激しく頷くしかありません。僕はといえば、CD完売ショップ続出で、4件目でようやく購入できました。11/19付の「J-WAVE TOKIO HOT 100」でもチャート6位とのこと。圧倒的なヴォーカル・パフォーマンスとプロデュース・ワークの結果ですね。

 

 

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Special Messages from “KC” at “Mellow Nights”

仕事が外資の関係で、9月が新年度ということもあり、ドタバタしてるうちにあっと言う間に一週間が過ぎてしまいました。台風が当たり年の今年は、夏の長雨やらで例年よりは過ごしやすい夏を経験できたような気がします。いつの間にか、夕焼け空も秋らしいものへと変化していて、こういう年はなんだか「長い秋」が期待できるような記憶がありますが、今年はどんなものでしょうか。

 

 

そんな慌しい9月の始まりに、僕にとっては最愛のお店だった『Mellows』のことを、30代の頃から『Mellow の巨匠』と敬愛して止まない、今や日本の音楽界におけるBIG Producerとなった『松尾”KC”潔』さんが、ご自身のFMラジオ番組『松尾潔のメロウな夜』で取り上げてくださいました。

こちらの番組では、年に一度か二度くらい、松尾氏の交友関係から「久保田利伸」氏や「鈴木雅之」氏、「山下達郎」氏といった現在の日本の音楽界を牽引してきたビッグ・ネームがゲストに招かれる機会があり、ここ数年は恒例となっているようで、昨年の暮れに自分と同世代の「久保田」氏が登場しました。1980年代後半人気絶頂を極めていた久保田氏は、SOUL/R&Bの本場である米国で勝負をしたいと単身「NY」に渡り、1995年「Toshi Kubota」として全米デビューを果たしました。そんな異国の地で頑張る彼の姿が、かつて身内の事情で「NY」への赴任を断念することになった自分の苦い経験から、いつも「がんばれ」と陰ながら熱く応援していたものでした。一方の松尾さんも、著書を読めばお分かりのように、単身米国や英国へ乗り込んでアジア人であるにも拘らず、恥じることなく自身の愛する黒人音楽分野の大物アーティストへのアグレッシブな取材を敢行するなど、僕のようなブラック・ミュージック愛好家にしてみれば、日本が世界に誇るまさに「2-TOP」と言っても過言ではない存在でした。おそらく日本人の音楽評論家・ライターといった立場で、超大物プロデューサーの「Quincy Jones」(クインシー・ジョーンズ)への取材を成功させたのは、松尾さんと、過去には音楽評論家の吉岡正晴さんくらいなのではないでしょうか。松尾さんによるクインシーへの、最初のインタヴューでは罵倒されたそうだけれども、もっともその時の邂逅が、氏が後のプロデュース業に乗り出していく契機となったのは否定できない事実と思われます。詳しくは著書を読まれることをお薦めします。

その久保田氏がまた恒例のゲストで年末の番組収録に招かれると知り、松尾氏同様にリスペクトするお二人に、リクエストを添えてメッセージをメールで送りました。これまでの生涯でリクエストなんてただの一度もしたことがなかったし、もちろん番組内で取り上げられなくても、お二人の目に留まってくれたらそれで十分といったつもりでした。昨年2016年という忌まわしき年は、僕らの世代の音楽好きにとっては、大切な多数のアーティストが他界していった、例を見ない特別な年でした。当ブログ内に敢えて「R.I.P. – 安らかに眠れ」などというカテゴリーを用意せざるを得ないほどの最悪の事態となっていました。そんな事情もあって、同世代の音楽好きの人たちと、この辛く悲しい思いを共有したいといったことから、同年亡くなった「ハモニカおじさん」ことToots Thielemansが演奏する穏やかな作品『Velas』(Produce: Quincy Jones)を、メッセージを添えてリクエストしたのでした。トゥーツ・シールマンスは過去に久保田氏の楽曲「Love under the moon」で客演もしていたので、お二人に宛てたちょうどいい選曲だと思いました。
とはいえ、なにせ当代きっての売れっ子プロデューサーとなり、もはや多忙を極める松尾さんなので、なかなかリスナーからのリクエスト特集なんてできないのが実情です。僕自身も番組のスタート時から聴いている古参リスナーの一人ですが、事実2010年から8年間続くプログラムの中でも、リクエスト特集なんて年に一度できるかできないかといった事情なのです。

送信したメールの内容、ほぼすべてを割愛することなく全国への電波に乗せて、閉店から5年という月日が経過した今でさえも、「やめたくて、やめたわけではない」といった僕の「無念」な想いを、まるで自分のことのように伝えてくれたような、そんな気がしました。やはり「メロウ」「Mellow」というワードで繋がった者同士ならではの関係が生まれたような、そんな熱い想いで心が満たされるのを感じました。

 

 

こんな男のメッセージを、しかも番組のエンディングで紹介していただき、2012年に最愛のお店をCLOSEしたあの日以来、感激のあまり久しぶりに男泣きしました。

 

 

松尾さん、並びに僕のメッセージを拾い上げてくださった「メロ夜」番組スタッフの皆さん、本当に有難うございました。5年間ずっと胸につかえていたモノが、すっとどこかへ消え去ったような、まるで数日前に偶然撮影した野に咲く一輪の早咲きの「秋桜」のような、なんだかそんな清々しい想いがしています。
そして、もしかつてのお客様方が運よく放送を聴いてくださっていたならば、皆さん一様になにかしら「それぞれのメロウな想い出」を、懐かしく回顧してくれていることと思います。心より、この場を借りて御礼を申し上げます。
どうか、今後とも素敵な大人向けのラジオ・プログラムを続けていただけるよう、微力ながら当ブログを通じて、今後もずっと応援していくつもりです。

 

 

 

AC Tunes ~ Vol.50 【MONDO GROSSO】

新年度の4月に入って、場所によっては桜も咲き始め、ようやく春の到来といったところでしょうか。今日の夕方には「春雷」がやって来たり、そういう季節になったのだと気付かされます。街角のいたるところで見かける花壇や植込みの生き物たちも、ようやく訪れた「春」を謳歌しているような印象です。

 

 

 

当ブログに来訪されるブログ・リーダーの皆さんであれば、1990年代~2000年代初頭に掛けて精力的な活動を行い、世界的にも広くその才能を認められたプロデューサーでありDJでもある奇才「大沢伸一」氏によるプロジェクト『MONDO GROSSO』(モンド・グロッソ)のことはご存知の方も多いことでしょう。
『MONDO GROSSO』は1991年に彼のホームでもある京都でバンドとして活動を開始し、時を経て1996年には大沢氏本人のソロ・プロジェクトとなりました。「UA」「bird」「Monday 満ちる をはじめ、とりわけ多くの女性シンガーが彼とのコラボによって、メジャーな世界へ羽ばたいていったのは、音楽好きな人々の間ではよく知られている事実です。

アシッド・ジャズやクラブ・ミュージックにカテゴライズされがちなものの、FUNK/R&B/HIP-HOP/JAZZ/BOSSA NOVA/LATINといった多くの要素を包括したその極めて高い大沢氏の音楽性は、日本人の音楽家としては国際的な評価が圧倒的に高いアーティストであります。しかしながら、2003年にリリースしたアルバム「NEXT WAVE」以降、「MONDO GROSSO」としての活動を中止していました。その彼がようやく長い沈黙を破り、2017年の4月に、14年の歳月を経ていよいよ復活するという嬉しいニュースが世界中に配信されています。今年中に発売を予定している、待望のNEWアルバムからの先行シングルとなる新曲『ラビリンス』は、「東京スカパラダイスオーケストラ」の谷中敦作詞、新たな女性ボーカリストをフィーチャーした日本語による歌詞の楽曲となるようです。完全生産限定12inchアナログ盤で「RECORD STORE DAY」の4/22にリリース予定とのこと。数十秒だけの動画がYouTubeに上がってますが、期待させる音作りですね。やっぱりこの人「天才」なんだと思います。

 

 

そんな訳で、更なる飛躍を期待しつつ、2000年にリリースされた『MONDO GROSSO – BEST』より、アルバム中9-10曲目に収録されている2作品をご紹介。フィーチャリングされた女性ヴォーカリスト「Jhelisa」のヴォーカルが素晴らしい『Give Me A Reason』そして『Slow It Downと2曲続けてご堪能ください。
尚、特筆すべきは2曲目の『Slow It Downで、あのQuincy Jones (クインシー・ジョーンズ)が1981年に発表した名盤『THE DUDE』に収録された、『Velas』のイントロ部をサンプリングしており、昨年他界した世界一のハーモニカ吹きとして愛された Toots Thielemans (トゥーツ・シールマンス) による口笛のソロを巧みに取り入れているのが、もはや氏の非凡さを証明しています。『Velas』は元々南米ブラジルの音楽家 Ivan Lins (イヴァン・リンス) の作品であり、彼なりのルーツとなるアーティストたちへのリスペクトとオマージュといえるのではないでしょうか。(この「口笛」の音色に興味を持たれた方は、どうぞこちらの記事もご覧ください)

 


Mondo Grosso – “Give Me A Reason”
 


Mondo Grosso – “Slow It Down”

 

当ブログでも過去に1974 – WAY HOMEという作品を紹介していますが、この記事は当ブログ内でも上位TOP3に入るくらい世界中からアクセスがあり、事実Googleでの曲名によるワード検索でも、僕の書いた記事が今日現在の検索結果1,640万件中、ありがたいことにTOP表示となっています。この記事をUpしてからここ何年もこんな結果なので、「MONDO GROSSO」の音楽がいかに世界中で支持され、また時代が変わっても関心を持たれていることが窺えます。もっともそんな結果も、大沢氏の創り出すこのシンプルな楽曲の完成度の高さと音楽性に尽きるわけですが。復活、期待大です。

 

 

Mellow Tunes ~ Vol.115 【Tommy LiPuma – R.I.P.】

米国のJazz/Fusionのカテゴリーで一時代を築いた大物プロデューサーの「トミー・リピューマ(Tommy LiPuma)」が、二週間前にN.Y.で亡くなった。80歳だったそうだ。


タイミングが悪く記事はUPしなかったけれど、彼の訃報の少し前の2/23には、SOUL/R&Bの世界ではやはり大物シンガーでありプロデューサーでもある、リオン・ウェア(Leon Ware)の訃報が伝えられていた。こちらは享年77歳だった。二人とも活躍のカテゴリーの違いはあれど、実に残念な知らせにがっくり来ているのが正直なところ。リオンについては、また別の機会に記事をUPしようかと思う。
 

今回は、僕が若い頃からとても大きな影響を受けたアーティストたちのレコードの裏ジャケに、かなりの確率でその人の名前が「PRODUCER」としてクレジットされていることが多かった、トミー・リピューマについて、膨大な量の彼の仕事の一部を、少しだけ振り返ってみたいと思う。

Tommy LiPuma (July 5, 1936 – March 13, 2017) was an American music producer. He received 33 Grammy nominations, 5 Grammy wins, and sold more than 75 million albums. LiPuma worked with many musicians, including Barbra Streisand, Miles Davis, George Benson, Phil Upchurch, Al Jarreau, Anita Baker, Natalie Cole, Claudine Longet, Dave Mason, the Yellowjackets, Michael Franks, Diana Krall, Paul McCartney, Ben Sidran, The Crusaders, Joe Sample, Randy Crawford and Dr. John.
[出典] Wikipedia

ウィキペディアの日本語版ではあまりに雑で貧弱かつ少し古い情報だったので、英語版による彼のBIOが上のような感じだ。今年に入ってグラミー賞の受賞式の最中に訃報が伝えられ、当ブログでも追悼記事をUPした愛すべきアル・ジャロウの名も確認できる。いずれにせよ、これだけの大物アーティストたちのサクセス・ストーリーの影には、常にそこへ導くだけのアルバムの製作総責任者である「プロデューサー」の存在が欠かせない。思うに、1970年代~1990年代中期頃における米国の音楽界での「プロデューサー」の役割・権限・責任は甚大であり、それが世界的なレコード(CD)セールスに繋がれば、尚更に大きな影響を及ぼすほどの「最重要」のポストであったことは、現代のそれとは比ではなかったように記憶している。極端な例で言えば、“King of Pop”「マイケル・ジャクソンの誰でも知ってるアルバム「スリラー」や「オフ・ザ・ウォール」の地球規模ともいえるサクセス・ストリーは、超大物プロデューサーであるクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の存在を抜きにしては語れないし、また70年代の「カーペンターズ」の黄金期を彩った、僕も古くから敬愛するバート・バカラックの存在なども忘れてはいけない。

音楽のカテゴリーはともかく、トミー氏や御大「クインシー・ジョーンズ」だけでなく「アリフ・マーディン」「フィル・ラモーン」、エンジニア出身で有名な「アル・シュミット」そして少し遅れてデイヴィッド・フォスターなども、大きな影響力を持つプロデューサーとして広く認知されていたことは、僕と同じ時代を生きてきたブログ・リーダーの方々であれば、「そうそう」と頷いてくれていると思う。

この時代のプロデューサーというのは、自身がミュージシャン出身であっても自分で楽器を担当したりすることなく、とにかく「アルバム製作」における、起用するミュージシャンの手配であるとか、レコード会社との予算編成やプロモーション等々、とにかく「良い作品」を作る為に可能な限り出来ることを全てやるという、いわゆる一流の職人同士を橋渡しする「コーディネーター」としての役割が顕著だったような気がしてならない。古今東西「プロデューサー業」に携わるのは男性が多数ということもあるので、かなりの「男気」と、売り手(レコード会社)と買い手(リスナー)のニーズを嗅ぎ分ける「抜群の嗅覚とバランス感覚」、この時代の「プロデュサー」と呼ばれる職人たちには、そんな能力が今以上に必要とされていたのではないかと思う。

お待ちかねのニュー・アルバムが米国や欧州から空輸されやっと通関が済み、日課のように通った都内のレコード・ショップの店頭に並んだ際、レコードの裏ジャケットにお馴染みのこの人たちの名前とお抱えの超一流スタジオ・ミュージシャンのラインアップを確認しただけで、胸が躍りワクワクしたものだった。TOWER RECORDS」「CISCO」「disk unionの店頭で敢えて『試聴させてください』とお願いすることなしに、かなりの確率でそのアルバムの内容は想像でき、脳内ではそれらしきサウンドが鳴り始めるほどで、またそれだけ彼ら「プロデューサー」の名前が、新譜購入時の「担保」になるほどの存在であったことは、間違いのない事実だった。1980年代の話だけれど、いやあほんとにあの時代が懐かしい。

80年代ボズ・スキャッグスはじめAORの分野で花を咲かせ、いまや「HITMAN」などと形容されるデイヴィッド・フォスター、90年頃から台頭してきたR&B界の二大プロデューサーコンビのベビー・フェイス&L.A.リード」「ジミー・ジャム&テリー・ルイスなど、アーティストでありミュージシャンでもある彼らは楽器も演奏しバック・コーラスにも気軽に参加したり、また自身の作品だけでなく他人の作品のプロデュースにも広く関わっていくようなプロデュース形態が目立ち始め、「プロデューサー」という役割に徐々に変化の兆しが見られるようになってきたのも、おそらくこの時代あたりからだったような気がする。

まあ呆れるほどいろんなプロデューサーの名前が挙がってしまったけれど、「トミー・リピューマ」とはそんなスーパー・プロデューサーの中でも、玄人受けする「昔気質」のプロデューサーだったと思う。そんなトミー氏の数ある名盤と評価されるプロデュース作品群の中から、相当難しいチョイスとなったけれど、2つのアルバムを取り上げてみたい。

死しても「ジャズ界の帝王」に君臨するあの『マイルス・デイヴィス(Miles Davis)』が音楽活動の最終期に差し掛かる時期の1986年に発表した、世界中で優れた評価を手にしたアルバム『TUTU』。反アパルトヘイト運動の活動家であり、1984年にノーベル平和賞を受賞した「ツツ司教」の名をアルバム・タイトルに冠した本作は、晩年のマイルスのアルバム製作だけでなくライブでの演奏にも常に帯同し、その才能を高く評価された今やスーパー・ベーシストでありスーパー・プロデューサーの名を欲しいままにするマーカス・ミラー(Marcus Miller)」とトミー氏との共同プロデュースとなっている。
マーカスが創り上げた前人未到の重厚な楽曲の数々を、帝王マイルスが自由自在に吹くミュートの効いたトランペットで色を与え、「Soloist (ソリスト) 」の一人として参加しているような、そんな印象が強いアルバムだ。おそらくトミー氏の数あるプロデュース作品の中でも、屈指の傑出した作品となって後世も評価されていくことだろう。帝王マイルスが天に召される生前に、この曲の演奏をライブで体験できたことは、もはや僕の生涯の宝物なのは言うまでもない。

 

Miles Davis – Tutu (album: TUTU – 1986)
 


Miles Davis – “Tutu” Medley (Directed by Spike Lee – 1997)
 

 

そして、もうひとつチョイスしたのは、このブログでも何度も取り上げている英国出身の、僕の中ではこの人たちを越える男女Duoはもう出現しないであろうと思うくらい大好きな、エヴリシング・バット・ザ・ガール(Everything But the Girl: EBTG)が米国進出を賭けてプロデュースをトミー氏に託したアルバム『The Language of Life』が、それだ。
 
1990年にリリースされた、「EBTG」にとって5作目となる本作はデビューアルバムの「EDEN」と並ぶ最高傑作との評価も高く、彼らとしては初の米国でのレコーディングが、トミー氏からの直接のアプローチにより実現したというのは有名な話。トミー氏から「どのミュージシャンを呼びたい?」と尋ねられた彼のコンタクト・リストには、いつでも駆けつけてくれる超一流ミュージシャンの名前がずらっと列記してあったとか。LAのスタジオでのレコーディングにはこれまでトミー氏が懇意にしてきた超一流のミュージシャンがずらりと勢揃いしたこと、既に他界したJAZZ界のレジェンドでもあるサックス奏者のスタン・ゲッツ」「マイケル・ブレッカーら当時考えられる超一流のスタジオ・ミュージシャンらによって繰り広げられたレコーディングは、当時のマスタリング技術面も含め贅沢を極めた作品として、楽曲やアレンジの完成度とともに、当時大変な驚きをもって世界中に知れ渡ったものだった。
 

 

 


Paul McCartney – ‘Kisses On The Bottom’ making story – 2012

そういえば、晩年になって、あの「ポール・マッカートニー」に遂にJAZZ Vocalアルバム『Kisses On The Bottom』までリリースさせてしまったことは、トミー氏ならではの手腕としかいいようがないかも。

 

天才プロデューサーの名を欲しいままにしていた「トミー・リピューマ」の遺作に触れるには、あまりに時間とスペースに限りがあるので、またいつか記事をUPできればと思いながら、彼の偉大な功績を讃えると共に、安らかなご冥福をお祈りしたい。

R.I.P. Tommy…