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AC Tunes ~ Vol.14 【Toni Braxton & Babyface】

GWもいよいよ後半ですね。皆さんどんなお休みを過ごされてるのでしょうか。
今はスマホで何でもできる時代ですから、旅先から当ブログへアクセスされてる方もいらっしゃるんでしょうね。ほんとに便利すぎる時代になりました。

最近ファッションや音楽そしてあらゆるカルチャーにおいて、『90’s』がトレンドになってるとよくメディアを通して見聞きすることが多くなってきました。確かに僕ら「R50」世代が若い頃に流行したものがいたるところで目に付くようになってきていて、20~30年タイプスリップしたような気分になることもあります。「流行は廻る」といいますが、この歳になってその言葉の意味がようやく理解できたような気します。

Babyface(ベイビーフェイス)こと Kenneth Brian Edmonds と言えば、その1990年代R&Bブラック・コンテンポラリーはもちろんのこと、カテゴリーを超越したプロデュサーとして華々しい活躍を見せたアーティストのひとりです。The Deal(ザ・ディール)で活動を共にした Antonio “L.A.” Reid(アントニオ”L.A.”リード)との共同プロデュースでは、実に多くのアーティストを大成功に導きました。

Toni-Braxton-Babyface-Roller-Coaster-2014-300x300Toni Braxton (トニ・ブラクストン)も彼らのレーベルである LaFace Records First Lady として1993年にデビューし、アルバム「Toni Braxton」で大きく成功を収め、2nd single の “Breathe Again” などは世界的な大ヒットとなりました。
それから『20年』という歳月を経た今年2014年2月に、『Toni Braxton & Babyface』という二人の名義でのアルバム “Love, Marriage & Divorce” がリリースされました。
20年という長い時間の中で、二人とも文字通りの「恋愛~結婚~離婚」をプライヴェートで経験し、互いに傷を負った二人が再び出逢い、46歳のトニと56歳となった Babyface の現在の素顔をさらけだしたような作品となっているような印象を受けます。病気やプライヴェートな諸事情から「引退」を決めていたトニを説得して二人の名義でアルバムを製作・発表し、また第一線にカムバックさせたベイビーフェイスには、頭の下がる思いです。なぜって、これだけの水準の作品をまだまだ発表できるだけの実力と経験を持ち合わせたアーティストは、現在のR&Bの世界でもそう多くは存在しませんからね。
またまた長くなってしまいましたが、アルバム製作についての詳細は、TOWER RRECORDS ONLINEインタビュー記事がUPされてますのでそちらをご覧ください。

人は誰でも長く生きていれば「いい時もあれば、よくない時もあるさ」ということを表現した、“Love is like a Roller Coaster” というフレーズがとても印象的な美しい楽曲、『Roller Coaster』という作品をご紹介せずにはいられません。

 


Toni Braxton & Babyface / “Roller Coaster”
(album: Love, Marriage & Divorce – 2014)

 

アルバム全体のクオリティも非常に高く、まさに大人が安心して聴ける作品となっています。ぜひ皆さんのライブラリーに加えていただきたい一枚です。( YouTube公式チャンネルでアルバム全編を聴けますのでぜひ)

 

AC Tunes ~ Vol.8 【Babyface】

当ブログ内でずっと継続している【Mellow Tunes】で何度も取り上げようと思っては止めていたアーティストの一人、『Babyface』をこのシリーズでようやく取り上げてみようかと思います。

彼の作品にはあまりにも好きな傾向の楽曲が多すぎて、前出の Steely DanDonald Fagen などと同様に、「書き出したらもう筆が止まらない」のと「取り上げてしまうだろう楽曲がとんでもない数に及ぶ」のが恐ろしくて、敢えて避けていたのが本音です。でもせっかく当ブログ上でいろんなシリーズも展開してきたことだし、今後は少しずつでも紹介していけたらよいかと考えています。

 

babyface 01Babyface (Kenneth Brian “Babyface” Edmonds)ほどの大物アーティストになると、敢えて「ああでもないこうでもない」とここで説明するのも野暮な気もしますしどうせ長くなってしまうので、詳しくは「ウィキペディア」または「Wikipedia」をご参照いただくのが手っ取り早いかと。
一つ申し上げるとしたら、現在54歳になる彼は、1980年代後半から2000年代初頭にかけて米国のR&B界を文字通り牽引してきた「グラミー受賞暦」など数えられぬほどの Super Producer でありシンガー・ソング・ライターだということ。もちろんそれは、今年2月に発表され大変な話題となっている、かつての盟友 Toni Braxton (トニ・ブラクストン)との共作を聴けばお分かりの通り、いまだに彼の才能は枯渇していないことを再認識されられます。(その作品については、また別の機会に取り上げるといたしましょう。)

Eric Clapton との共演・プロデュースによるChange The Worldで一躍自分の存在を普段ROCKしか聴かないような層にもアピールすることに成功した90年代後半も含め、Babyface はその才能ゆえ作風やスタイルをその後徐々に変化させていきました。古くからのファンである僕から見れば、『この人、理由は分からないけれど行くあてもなく彷徨っている』ようなそんな印象を受けていました。そうこうしているうち2005年になってリリースされたアルバム『Grown & Sexy』は、超一流のメロディ・メイカーである彼本来のスタイルともいえる Sweet『mellowness』を強く打ち出すことに成功した作品となった印象がありました。アルバム中の1stトラックである『Tonight It’s Goin’ Down』は、そんな彼の真骨頂ともいえる楽曲といえるのではないでしょうか。

 


BabyFace / “Tonight It’s Goin’ Down” (album: Grown & Sexy – 2005)

 

このアルバムが彼にとっての「原点回帰」となった印象を持たれた、古くからのコアなファンも多かったことでしょう。
長くなるといけないので、ではまた次回に。

 

Mellow Tunes ~ Vol.193【The Deele】

いつもご訪問ありがとうございます。
秋が日々深まっていきますね。気が付けば10月もあと一週間で終わり。目にする植物や樹々たちも、秋から冬へと装いを変える準備で忙しくしているようです。

 

 

 

もうすぐ11月。この季節になると、古き良き時代のSoul/R&B好きの方なら、必ずといって聴きたくなるのが『Babyface』の声と作品群。後に「Big Producer/Artist」となるまでの1980年代中期に、旧友「”L.A.” Reid」と共に在籍した伝説のグループ、それが『The Deele』(ザ・ディール)です。
「ベイビーフェイス」という人は、いつどんな時代であっても、稀代の「美メロ・メイカー」であることに変わりはありませんね。
では、ソロになる前のグループ時代の『The Deele』の名曲を2曲をお楽しみください。今となっては、本当に懐かしいいい時代でした。『Sweet November』が、心に沁み込むようです。

 


Track-01: The Deele – “Two Occasions” (1987)
Track-02: The Deele – “Sweet November” (1985)

 

初めて『Babyface』を聴いて興味を持たれた方、よろしければ関連記事などもご覧ください。いろいろ取り上げています。

 

 

 

Mellow Tunes ~ Vol.180 【 Aretha Franklin ~ R.I.P.】

仕事で忙しかったお盆休みもようやく終わり、心身ともに疲弊しきった状態で帰宅したところ、危篤状態が続いていると数日前からネット上のニュースを通して伝え聞いていた、「Aretha Franklin」(アレサ・フランクリン)が亡くなったとの訃報が、米国デトロイトより世界中に発信されていた。長きに渡り「Queen of Soul」の称号を欲しいままにしていたアレサだけれども、享年76歳、長く膵臓癌で闘病中だったらしい。悲しい知らせは、疲れた身体に追い討ちをかけるようだ。
そして、また一つの時代に幕が下りてしまった。

 

 

これだけ偉大なアーティストであったにも拘らず、当ブログではこれまで取り上げたことがなかった。彼女のバックグラウンドであるゴスペル寄りであったり聴衆を圧倒する程迫力満点のFunkness溢れる作品群を思うと、「Mellow Tune」と捉えることのできる作品は、そう多くはないのかもしれない。とはいえ、そういった自分で決めた基準からまだまだ取り上げていない偉大なアーティストが多すぎるじゃないかと、自分自身にダメ出しをせざるを得ない。
でも遅すぎるということはないはずだから、僕の敬愛する「Babyface」がアレサの復活を手助けした作品で、彼女がアリスタ・レコード所属時代の1994年にリリースされ、全米R&Bチャートで5位となったスロウ・ミディアムなバラッド、『Willing To Forgive』を取り上げておこうと思う。

 


Aretha Franklin – “Willing To Forgive”
(album: Respect – The Very Best Of Aretha Franklin)

 

そしてもう一つ、米国の音楽史上感動的なステージとして、永く人々の目に耳に刻み込まれたであろうと信じて止まない、アレサの熱唱を取り上げぬわけにはいかない。1967年アトランティックよりリリースされた彼女の代表作である「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」(ナチュラル・ウーマン)は、既知の通り、やはり米国を代表する女性シンガー・ソングライターの草分け的な存在でもある「Carole King」(キャロル・キング)夫妻による作品だ。
毎年優れた芸術家に贈られる「ケネディ・センター名誉賞」の、2015年の受賞祝賀公演で、受賞者の一人であった「キャロル・キング」へのサプライズ・ゲストとしてステージに登場した「アレサ」のピアノでの弾き語りから始まった「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」は、圧巻のパフォーマンスとなったのは、比較的記憶に新しい出来事だ。キャロルの感激の表情はもとより、「この人は心底音楽を愛している」と僕自身もずっとリスペクトしている、授賞式に招かれていた「バラク・オバマ元アメリカ合衆国大統領」が、人目も憚らず頬を伝う涙を拭う姿に、「アレサ・フランクリン」という一人の女性ソウル・シンガーの偉大さが、端的に象徴されているのではないだろうか。

 


Aretha Franklin – (You Make Me Feel Like) A Natural Woman
(Kennedy Center Honors 2015)

 

 

R.I.P. Aretha…
Rest In Peace [安らかに眠れ]

 

Mellow Tunes ~ Vol.153【Bruno Mars】

寒い日がこれだけ続く冬も珍しいというか、生まれて半世紀以上が経過しますが、正直なところあまり記憶がありません。もちろん南北に細長い日本列島ですから、寒冷地に居住する方々の生活と比較すれば、関東地方の冬は大したものではないのかもしれませんが。インフルエンザ等も猛威を振るっているようですので、皆様どうかご自愛ください。
先週降った雪も、あまり日当たりのよくない場所では、まだまだ存在感がありますね。

 

 
さて、先日の記事「AC Tunes Vol.63」Christopher Cross(クリストファー・クロス)の新譜をご紹介した際にも少し触れましたが、昨日(現地時間1/28)『第60回』と節目の年となる【グラミー賞授賞式】が、今回から会場をこれまでの西海岸のLAから、この時期は極寒の東海岸はNYの「マディソン・スクエア・ガーデン」に移し、予定通り開催され無事に式典を終えました。
今回のグラミーは、世界中で売れに売れたアルバム『24K Magic』を引っさげ、もはや主要部門含めなんと「7部門」(最優秀レコード賞/最優秀楽曲賞/最優秀アルバム賞/最優秀R&Bパフォーマンス賞/最優秀R&Bソング賞/最優秀R&Bアルバム賞/最優秀アルバム技術賞)にノミネートされている、『BRUNO MARS』(ブルーノ・マーズ)による受賞が、いったい何部門を制覇するかといったところに、否が応でもフォーカスが当てらていました。インターネットの普及により、リアル・タイムで「GRAMMY公式サイト」で受賞の状況を窺っていた音楽ファンも、当然ながら世界中に沢山いらしたことでしょう。

 

 

そして気になる結果ですが、ふたを開けてみれば「やはり」としか言葉が出てこないほどの、「ブルーノ」の文字通りの【独壇場】となりました。アーティストであるブルーノ本人が受賞したのが「6部門」、そしてエンジニア・技術者らに贈られる「Best Engineered Album, Non-Classical (最優秀アルバム技術賞)」も含め、計「7部門制覇」という偉業をやってのけました。予想はしていたものの、結果として、ノミネートされた全部門で受賞という快挙は、そうそう簡単にできることではありません。

プエルトリコ系の父とフィリピン系の母との間に生まれ、僅か6歳頃から故郷のハワイで観光客を相手に、大好きなアーティストのモノマネを中心にステージで数え切れない経験を積んできたことや、本格的な活動を視野にアメリカ本土に渡り、やがてあの名門レーヴェルの「MOTOWN」と契約に至るも、さっぱり売れずに契約解除となったなど、幾つかの苦い経験と過去があってこそのサクセス・ストーリー。そして、アルバム製作にも尽力してくれた彼にとっての「HERO」である「Babyface」はじめ、多大な影響を受けた「Jam & Louis」「Teddy Riley」ら偉大な先駆者たちの名前を挙げて、「そんな彼らに感謝したい」と「Best Album of The Year」の受賞スピーチを終えたブルーノの言葉を聞いて、彼やバンドの面々の現在の人気がどうこうというよりも、彼の持つ才能はもちろんであるけれども、「人間性」であるとか、ダンスを見れば一目瞭然「見えないところでの努力」だとか、そんな『苦労人の姿』も華やかさの陰に見え隠れしているような気がしてなりません。そして何より賞賛されるべきは、難解なことをリスナーやオーディエンスに投げかけることなく、「音楽」という日本語がそうであるように、「音」を「楽しむ」といった、ポピュラー・ミュージックにとってある意味「当たり前」で「普遍的」なことを、気心の知れたバンド・メンバー「The Hooligans」(ザ・フーリガンズ)たちとのオーディエンスをあっと言わせるダンス・パフォーマンスをはじめ、パワフルで圧倒的なステージ・アクトを実現できたことに他ならないと思います。ライブのチケットが入手できないのも、よく理解できますね。

時折ブルーノのことを揶揄したりする人たちも散見されますが、1980-90年代に流行したサウンドを意図的に再現した音作りだって、その時代のファッション等のカルチャーを復活させたのだって、「偽者」や「偽物」だったら僕らの世代も含め、世界中がここまでは支持しません。そこには彼なりの高度で独自の「咀嚼」と緻密な「計算」が存在し、それらの音楽たちは感覚的かつロジカルに組み立てられ、世に送り出された「産物」と言えるのではないでしょうか。
かつて来日した際のTV番組内のインタビューの中で、日本が誇る偉大な音楽家「山下達郎」氏の国宝級のアカペラ3部作である『On The Street Corner 1-3』をインタビュアー役の女子アナからプレゼントされ、1・2作目は持ってるけど、3作目が手に入らず探していたんだと、すごく喜んでいたのを見た際、このフレキシブルな感性とあらゆる音楽への愛情や敬意を持つ姿勢が、ブルーノをここまで押し上げてきたんだなと、妙に納得してしまったことがありました。

 

 

なによりとにかく、『24K Magic』「最優秀アルバム賞」を受賞したことは、この音楽配信が中心の時代に、とてつもなく大きな『楔』を打ち込んだといっても過言ではないでしょう。過去記事で何度も取り上げたけれど、故人となった「PRINCE」が、2015年グラミーの「Album of The Year」のプレゼンターで壇上に立った際に、「みんなアルバムって覚えてるかい?アルバムってまだまだ大事なんだよ。」と、居合わせた観衆やTVカメラの向こう側の世界中のリスナーに語りかけたことで、大変話題になりました。(詳しくこちらへ) なので、今回のブルーノの本作品の受賞については、音楽家や関係者たちがずっと危惧していたことへの、音楽界とリスナーからの一つの回答だと、僕個人としては信じたいなって思います。もしも彼の永年のアイドル的存在だった「マイケル」「プリンス」が存命であったなら、それはきっと最大級の賛辞を惜しまなかったことでしょう。

昨今国内のSONYでもアナログ盤のプレスとリリースが再開されたように、本来は収録曲数に限界のあるアナログ盤の「アルバム」には、せいぜい8~9曲で収録時間45分程の限られたスペースに、アーティストそれぞれの想いやストーリーがきゅっと凝縮されているもの。収録作品に対して厳選に厳選を重ね完成した『24K Magic』も、そのセオリーを踏襲し「アルバム」の価値を極限にまで高めてくれたブルーノの本作品の「Album of The Year」受賞は、当然の結果にきまってる。と思われた方、ぜったいに大勢いらっしゃるはずですよね。

『24K Magic』Bruno Marsもまだよく知らないという方のために、Playlist をUPしました。良質なものに「遅すぎる」ということはありません。ぜひともご覧ください。

 


“Bruno Mars” Speech at The 60th Grammy Awards
& some PV

 

Bruno Mars に関する過去記事は、こちらへどうぞ。

また、今年も現地に行かれていらっしゃる音楽プロデューサーの「松尾潔」さんから、きっと来週または再来週の自身のFMラジオ番組内で、詳しいお話を聞くことができるのではと、楽しみに期待しております。

 

Mellow Tunes ~ Vol.151【Switch / DeBarge / After 7】

六十数年ぶりとかいろいろな観測基準があるようですが、「大雪」に見舞われスタートした今週ですが、「二十四節気」の最後の24番目となる「大寒」らしい季節となりました。
通勤・通学に大変だったことと思われますが、インフルエンザも猛威を振るっているようですので、どうぞご自愛ください。

 

 
Holiday Season 恒例の「Mellowなクリスマス・ソング」の特集が終わると、当ブログにおきましては、更新がいつものスロウ・ペースに戻り、ゆるゆると展開していきますので、どうかそのおつもりでお付き合いください。

 

 

さて「Vol.151」となる今回の「Mellow Tunes」ですが、米国はマンスフィールド (オハイオ州)で1975年に結成された R&B/funk バンドの『Switch』により、1979年にリリースされた懐かしい「Soul Classics」とも言える作品をご紹介します。寒い季節は特に、暖かいイメージの「Soul Classics」が最高のご馳走かもしれません。

『Switch』はもともと1975年にデビュー・アルバムをRCAから、1977年には二枚目のアルバムをPOLYDORからリリースをしていましたが、実質的なメジャー・デビューは「MOTOWN RECORDS」の名物創設者である「Berry Gordy Jr.」が持つサブ・レーヴェルの「Gordy」より1978年にリリースした、自らのグループ名を冠したアルバム『Switch』と捉えられています。そして彼らをモータウンへの移籍・契約に尽力したのが、なんと「マイケル・ジャクソン」の兄の「Jermaine Jackson」(ジャーメイン・ジャクソン)であったというのは、有名なお話です。

『Switch』の創設者であり、ソング・ライティングを担当するリーダーの「Gregory Williams」よりも、主要なリード・ヴォーカリストでもある「Bobby DeBarge」とベース担当の「Tommy DeBarge」兄弟の存在感が大きかったのは事実でした。またグループ内には「クインシー・ジョーンズ」の寵愛を受けた「ジェームス・イングラム」の弟の「フィリップ・イングラム」が在籍していたりと、何かと話題に事欠かないバンドでした。「Bobby & Tommy DeBarge」に関しては、後に自分たちの兄弟によるグループの『DeBarge』へと活動の場を移すこととなりますが、同時期に活動を開始した『DeBarge』はリードを取る「エル」の人気上昇とともに、その後は「The Jackson 5」の再現を目論んだ「MOTOWN」帝国の中で、一時代を築き上げることになっていくわけです。
米国デトロイトを拠点とする同じ「MOTOWN RECORDS」に於いて、時既に時代と世界を席巻していた「The Jackson 5」もそうでしたが、この「デバージ兄弟」の声質は極めて似通っていて、非常にレンジの広い声質で得意のハイ・トーンからファルセットまで自由自在に扱えるテクニックを持っており、その卓越したヴォーカリストの家族代表と言っても差し支えないのが、誰あろう「Bobby DeBarge」でした。
相変わらず前置きと解説が長くなりましたが、今回ご紹介する「Switch」の最大セールスを記録した1979年リリースの「Switch II」に収録された、『I Call Your Name』(US R&B Chart 8位)をお聴きください。僕は個人的に、この70年代末から80年代末にかけての時代の「Old School」なメロウ極まりないサウンドが、雪を眺めながら浸かる露天風呂のようで、いちばん心地よく感じますね。

 


Switch – “I Call Your Name”
(album: Switch II – 1979)

 

Bobby DeBarge

「MOTOWN」の戦略通り1980年代になって売れに売れた『DeBarge』のリード・ヴォーカルは、兄の「Bobby」とルックスも声もそっくりな弟の「エル」こと「El (Eldra) DeBarge」が、既にグループ内で圧倒的な人気を不動のものとしていました。にも拘らず、「The Jackson 5」における「マイケル」がそうであったように、「MOTOWN」は「エル」をソロ・デビューさせるに至りました。絶対的な存在だった「エル」不在の『DeBarge』には、結果として『Switch』を脱退した二人の兄「Bobby & Tommy DeBarge」が合流するという運びとなり、新生『DeBarge』の運命は兄「Bobby」へと託されていくわけですが、これぞまさに「血統」の成せる離れ業と言えましょう。もう恐ろしいくらいに、二人とも声質が同じですね。
その後「Bobby」は残念なことに、1995年にHIVが原因で帰らぬ人となりました。「Bobby」が闘病中の1989年に活動を停止した『DeBarge』ですが、再結成はもうないのでしょうか。期待したいところではありますが。
参考動画の美しいバラッド“Who’s Holding Donna Now”は、当時音楽のカテゴリーを超越して辣腕ぶりを発揮していた「David Foster & Jay Graydon」のSUPER PRODUCERコンビ + 「Randy Goodrum」らによる作品。当時デイヴィッド・フォスターが関わると、こうなりますよ」という方程式通りの売れるアレンジが施された本作は、それまでの Super Hit 作品「I like It」と同様に、世界中でもの凄いヒットとなりましたね。「エル」の人気を決定付けると同時に、後のグループからの脱退を急がせた作品となった記憶があります。


DeBarge – “Who’s holding Donna now”
(album: Rhythm of the Night – 1985)

 

余談ですが現代で例えるならば、『Babyface』 (Kenneth Brian Edmonds)を筆頭に、兄弟・甥で構成された『After 7』を擁する「Edmonds ファミリー」のイメージと被りますね。この人たちも、ルックスだけでなく「歌声」がもうそのファミリー特有のものになっています。日本が世界に誇る伝統芸能である「歌舞伎」の世界がそうであるように、「Bloodline」(血統)とは本当に想像を超えるほどのものがあると、米国の Black Music 界を俯瞰しただけでも、そんな想いが強くなるのを、今回の記事を書きながら大いに感じました。


After 7 – “TOO LATE”
Featuring David Edmonds & Kenny “Babyface” Edmonds
(album: TIMELESS – 2016)

 

最初に取り上げた『Switch』の楽曲はもう「40年」も前の作品ではありますが、僕にとってはちっとも古いとは感じられません。国内の邦楽もそうですが、先人たちが切り拓いた道というものは、改めてゆっくりと歩くことで、その周辺の草木の匂いであるとかを敏感に感じ取ることで、多くの再発見があるものです。新しい作品もよいですが、その音楽が生まれたその時代の空気感や背景にある歴史みたいなものに、ちょっとだけ触れながら鑑賞してみるというのは、録音された時点から時代が進んだことによってもたらされる、「恩恵」といっても過言ではありません。
当サイトでは、そんな素晴らしい音楽たちに最大限のリスペクトを込めて、今後も紹介してゆこうと考えております。

 

Mellow なクリスマス・ソング ~ 2017 Vol.3【Toni Braxton】

いつもご訪問ありがとうございます。
さて今シーズンの「Mellow なクリスマス・ソング」第三夜となりますが、毎年のことですがクリスマスが日一日と近づくにつれ、海外からのアクセスが一気に増えてきました。当サイトの記事は当然のことながら日本語での表記のみですが、「Google Chrome」をはじめ閲覧ブラウザの機能の進化や追加機能のプラグイン/アドオンにより、簡単にその地域の言語に翻訳表示が可能になっていることから、こんな現象が起きているのかもしれません。
「Facebook」さんから相も変わらず「ログ・インせよ」との指令が一日に数回来るので、確認してみると記事を「シェア」してくださっている方々の7~8割が海外在住の方々になってきました。そんな事象を見るにつけ、「クリスマス・ソング」の必要性というか、毎年のように世界中の多くのアーティストがこぞって「Holiday Album」をリリースする理由が理解できるような気がします。地域や宗教的な背景によるものがいちばん大きいのでしょうが、世界を見まわしてもクリスマスというのはやはりスペシャルな行事なんだと、自身のブログを通じて再認識する今日この頃です。

 

 

そんな訳で、第三夜の今回は、Babyface(ベイビーフェイス)プロデュースによるデビュー時からずっと愛聴している「Toni Braxton」(トニ・ブラクストン)が、2001年にリリースした Holiday Album「Snowflakes」の1stトラックとして収録された『Holiday Celebrate』をピック・アップしました。ソング・ライティングは「Toni Braxton/Keri Lewis/Tamar Braxton」とクレジットがありますので、元「Mint Condition」のメンバーであり当時の伴侶であったケリ・ルイスと、姉妹で活動している「The Braxtons」のメンバーで妹のテイマーとの共作曲ということになります。

 

Toni Braxton – “Holiday Celebrate”
(album: Snowflakes – 2001)

 

数年前までは自身の病気やケリとの離婚と、私生活が散々だったトニですが、恩人Babyface(ベイビーフェイス)と共有名義で2014年にリリースした「Love, Marriage & Divorce」で、見事な復活を遂げたのは記憶に新しい嬉しい出来事でした。(参考記事はこちら
来年2018年にはNew Albumのリリースが期待できそうです。

 

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Mellow Tunes ~ Vol.115 【Tommy LiPuma – R.I.P.】

米国のJazz/Fusionのカテゴリーで一時代を築いた大物プロデューサーの「トミー・リピューマ(Tommy LiPuma)」が、二週間前にN.Y.で亡くなった。80歳だったそうだ。


タイミングが悪く記事はUPしなかったけれど、彼の訃報の少し前の2/23には、SOUL/R&Bの世界ではやはり大物シンガーでありプロデューサーでもある、リオン・ウェア(Leon Ware)の訃報が伝えられていた。こちらは享年77歳だった。二人とも活躍のカテゴリーの違いはあれど、実に残念な知らせにがっくり来ているのが正直なところ。リオンについては、また別の機会に記事をUPしようかと思う。
 

今回は、僕が若い頃からとても大きな影響を受けたアーティストたちのレコードの裏ジャケに、かなりの確率でその人の名前が「PRODUCER」としてクレジットされていることが多かった、トミー・リピューマについて、膨大な量の彼の仕事の一部を、少しだけ振り返ってみたいと思う。

Tommy LiPuma (July 5, 1936 – March 13, 2017) was an American music producer. He received 33 Grammy nominations, 5 Grammy wins, and sold more than 75 million albums. LiPuma worked with many musicians, including Barbra Streisand, Miles Davis, George Benson, Phil Upchurch, Al Jarreau, Anita Baker, Natalie Cole, Claudine Longet, Dave Mason, the Yellowjackets, Michael Franks, Diana Krall, Paul McCartney, Ben Sidran, The Crusaders, Joe Sample, Randy Crawford and Dr. John.
[出典] Wikipedia

ウィキペディアの日本語版ではあまりに雑で貧弱かつ少し古い情報だったので、英語版による彼のBIOが上のような感じだ。今年に入ってグラミー賞の受賞式の最中に訃報が伝えられ、当ブログでも追悼記事をUPした愛すべきアル・ジャロウの名も確認できる。いずれにせよ、これだけの大物アーティストたちのサクセス・ストーリーの影には、常にそこへ導くだけのアルバムの製作総責任者である「プロデューサー」の存在が欠かせない。思うに、1970年代~1990年代中期頃における米国の音楽界での「プロデューサー」の役割・権限・責任は甚大であり、それが世界的なレコード(CD)セールスに繋がれば、尚更に大きな影響を及ぼすほどの「最重要」のポストであったことは、現代のそれとは比ではなかったように記憶している。極端な例で言えば、“King of Pop”「マイケル・ジャクソンの誰でも知ってるアルバム「スリラー」や「オフ・ザ・ウォール」の地球規模ともいえるサクセス・ストリーは、超大物プロデューサーであるクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の存在を抜きにしては語れないし、また70年代の「カーペンターズ」の黄金期を彩った、僕も古くから敬愛するバート・バカラックの存在なども忘れてはいけない。

音楽のカテゴリーはともかく、トミー氏や御大「クインシー・ジョーンズ」だけでなく「アリフ・マーディン」「フィル・ラモーン」、エンジニア出身で有名な「アル・シュミット」そして少し遅れてデイヴィッド・フォスターなども、大きな影響力を持つプロデューサーとして広く認知されていたことは、僕と同じ時代を生きてきたブログ・リーダーの方々であれば、「そうそう」と頷いてくれていると思う。

この時代のプロデューサーというのは、自身がミュージシャン出身であっても自分で楽器を担当したりすることなく、とにかく「アルバム製作」における、起用するミュージシャンの手配であるとか、レコード会社との予算編成やプロモーション等々、とにかく「良い作品」を作る為に可能な限り出来ることを全てやるという、いわゆる一流の職人同士を橋渡しする「コーディネーター」としての役割が顕著だったような気がしてならない。古今東西「プロデューサー業」に携わるのは男性が多数ということもあるので、かなりの「男気」と、売り手(レコード会社)と買い手(リスナー)のニーズを嗅ぎ分ける「抜群の嗅覚とバランス感覚」、この時代の「プロデュサー」と呼ばれる職人たちには、そんな能力が今以上に必要とされていたのではないかと思う。

お待ちかねのニュー・アルバムが米国や欧州から空輸されやっと通関が済み、日課のように通った都内のレコード・ショップの店頭に並んだ際、レコードの裏ジャケットにお馴染みのこの人たちの名前とお抱えの超一流スタジオ・ミュージシャンのラインアップを確認しただけで、胸が躍りワクワクしたものだった。TOWER RECORDS」「CISCO」「disk unionの店頭で敢えて『試聴させてください』とお願いすることなしに、かなりの確率でそのアルバムの内容は想像でき、脳内ではそれらしきサウンドが鳴り始めるほどで、またそれだけ彼ら「プロデューサー」の名前が、新譜購入時の「担保」になるほどの存在であったことは、間違いのない事実だった。1980年代の話だけれど、いやあほんとにあの時代が懐かしい。

80年代ボズ・スキャッグスはじめAORの分野で花を咲かせ、いまや「HITMAN」などと形容されるデイヴィッド・フォスター、90年頃から台頭してきたR&B界の二大プロデューサーコンビのベイビー・フェイス&L.A.リード」「ジミー・ジャム&テリー・ルイスなど、アーティストでありミュージシャンでもある彼らは楽器も演奏しバック・コーラスにも気軽に参加したり、また自身の作品だけでなく他人の作品のプロデュースにも広く関わっていくようなプロデュース形態が目立ち始め、「プロデューサー」という役割に徐々に変化の兆しが見られるようになってきたのも、おそらくこの時代あたりからだったような気がする。

まあ呆れるほどいろんなプロデューサーの名前が挙がってしまったけれど、「トミー・リピューマ」とはそんなスーパー・プロデューサーの中でも、玄人受けする「昔気質」のプロデューサーだったと思う。そんなトミー氏の数ある名盤と評価されるプロデュース作品群の中から、相当難しいチョイスとなったけれど、2つのアルバムを取り上げてみたい。

死しても「ジャズ界の帝王」に君臨するあの『マイルス・デイヴィス(Miles Davis)』が音楽活動の最終期に差し掛かる時期の1986年に発表した、世界中で優れた評価を手にしたアルバム『TUTU』。反アパルトヘイト運動の活動家であり、1984年にノーベル平和賞を受賞した「ツツ司教」の名をアルバム・タイトルに冠した本作は、晩年のマイルスのアルバム製作だけでなくライブでの演奏にも常に帯同し、その才能を高く評価された今やスーパー・ベーシストでありスーパー・プロデューサーの名を欲しいままにするマーカス・ミラー(Marcus Miller)」とトミー氏との共同プロデュースとなっている。
マーカスが創り上げた前人未到の重厚な楽曲の数々を、帝王マイルスが自由自在に吹くミュートの効いたトランペットで色を与え、「Soloist (ソリスト) 」の一人として参加しているような、そんな印象が強いアルバムだ。おそらくトミー氏の数あるプロデュース作品の中でも、屈指の傑出した作品となって後世も評価されていくことだろう。帝王マイルスが天に召される生前に、この曲の演奏をライブで体験できたことは、もはや僕の生涯の宝物なのは言うまでもない。

 

Miles Davis – Tutu (album: TUTU – 1986)
 


Miles Davis – “Tutu” Medley (Directed by Spike Lee – 1997)
 

 

そして、もうひとつチョイスしたのは、このブログでも何度も取り上げている英国出身の、僕の中ではこの人たちを越える男女Duoはもう出現しないであろうと思うくらい大好きな、エヴリシング・バット・ザ・ガール(Everything But the Girl: EBTG)が米国進出を賭けてプロデュースをトミー氏に託したアルバム『The Language of Life』が、それだ。
 
1990年にリリースされた、「EBTG」にとって5作目となる本作はデビューアルバムの「EDEN」と並ぶ最高傑作との評価も高く、彼らとしては初の米国でのレコーディングが、トミー氏からの直接のアプローチにより実現したというのは有名な話。トミー氏から「どのミュージシャンを呼びたい?」と尋ねられた彼のコンタクト・リストには、いつでも駆けつけてくれる超一流ミュージシャンの名前がずらっと列記してあったとか。LAのスタジオでのレコーディングにはこれまでトミー氏が懇意にしてきた超一流のミュージシャンがずらりと勢揃いしたこと、既に他界したJAZZ界のレジェンドでもあるサックス奏者のスタン・ゲッツ」「マイケル・ブレッカーら当時考えられる超一流のスタジオ・ミュージシャンらによって繰り広げられたレコーディングは、当時のマスタリング技術面も含め贅沢を極めた作品として、楽曲やアレンジの完成度とともに、当時大変な驚きをもって世界中に知れ渡ったものだった。
 

 

 


Paul McCartney – ‘Kisses On The Bottom’ making story – 2012

そういえば、晩年になって、あの「ポール・マッカートニー」に遂にJAZZ Vocalアルバム『Kisses On The Bottom』までリリースさせてしまったことは、トミー氏ならではの手腕としかいいようがないかも。

 

天才プロデューサーの名を欲しいままにしていた「トミー・リピューマ」の遺作に触れるには、あまりに時間とスペースに限りがあるので、またいつか記事をUPできればと思いながら、彼の偉大な功績を讃えると共に、安らかなご冥福をお祈りしたい。

R.I.P. Tommy…