Monthly Archives: February 2011

あともう一歩・・・

今日は、昨日の気温20℃を越す4月並みの陽気から一気に真冬に逆戻りしたような寒さの中、先々週から雪で延期になっていたJAバンク茨城・少年サッカー県大会の決勝トーナメントに参加するために、高速を飛ばし水戸までやってきました。

茨城県内には、県サッカー協会に登録している4種(小学生年代)チームが、スポーツ少年団や鹿島アントラーズ・ジュニアなどのいわゆるクラブ・チームを併せて約250チームあります。もちろん他の大会とのバッティング等、諸事情から今大会の地区予選から参加をしていないチームも当然存在しますが、6年生にとっては卒業前の最後の大きな大会という位置付けになっています。夏の地区予選から始まり今日まで勝ち上がった8チームの中から、準々決勝・準決勝と最後まで勝ち残った2チームが、来週末から開催されるJリーグ・J2水戸ホーリーホックの開幕戦で前座試合として実施される、決勝戦に進むことができるわけです。まあそんな事情なので、選手たちだけでなくご父兄の皆さんたちも、否が応でもテンションがあがってしまうのは多少はしかたないのかもしれません。

準々決勝は、前・後半終えて 1-1 で引き分けのため、大会規定により延長戦へ突入。延長後半になんとか1点を追加し、辛くも準決勝に駒を進めました。あとひとつ勝てば、いよいよ子どもたちの目標・決勝の舞台「K’sデンキスタジアム」への切符が手に入るところまでやってきました。
続く準決勝は、ボールのポゼッション(支配率)も高く内容も決して悪くないものの、なにせ1点が遠い。後半も同じような内容のまま「また延長戦か・・」との思いが脳裏をかすめたと思った途端に、相手チームのフリーキックからアンラッキーな形で1点を先制されてしまう。その後、怒涛の反撃体制で相手陣内に切り込むも、敢え無くタイム・アップのホイッスルがピッチに鳴り響きました・・・

 

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ハーフタイムの風景

あとわずかのところでしたが、大会4度目のチャレンジで、昨年のベスト8より一段階上がってベスト4まで来ました。大会規定で3位決定戦は実施されず、準決勝で敗退した2チームはどちらも3位ということで、カップと銅メダルを各自授与されました。
子どもたちのそれぞれの顔を見ていると、悔しくて泣いている子、もうケロッと立ち直っている子、と様々でしたが、君たちと過ごした6年間は僕にとっても今となってはどれもいい思い出です。
単一小学校だけで組織された少年団としてここまで来れたのは、他に例を見ないはず。足の遅い子を足の速い子が助け、守備に不安がある子を体の大きい子が助け、一人もスーパーな選手がいないチームだけどそうやってお互いの弱いところを補い合ってやってきた6年間。ほんとによく頑張りました。県で3位は胸を張っていいんだよ。

そしてまた例年のごとく、6年生たちとのサヨナラの季節がやってきてしまいました。
どうか、このあと3種(中学年代)のカテゴリーに移っても、楽しくサッカーを続けて欲しいと切に願います。そしてもっと大きくなったら、小学校のグラウンドに戻って来て、小さな子どもたちに「サッカーって楽しいんだよ」って思いを、素直に伝えてくれらたらいいなと思います。

みんなもうすぐ卒業だね。おめでとう。

 

Hall & Oates と黒人音楽について

Hall & Oates が現在来日公演中だそうですね。
行かれる方にとっては、ライブのクオリティが非常に高い次元の人たちなので、きっと期待できるんじゃないでしょうか。
しかしまあ、80年代に青春期を過ごした世代の人たちにとっては、忘れられないほどの強烈な存在のデュオですね。マイケル・ジャクソン同様に、当時から流行が始まったMTVのPV(promotion video)のさきがけともいえます。

でも意外なことに、本来は黒人音楽に傾倒していた二人にとってSOULに対して真っ向勝負で挑むことは、当時の所属レコード会社や聴衆からさえも許される雰囲気ではなかったようです。とにかく「よりPOPでより売れる作品を」といった、よくあるケースに二人とも相当なストレスを感じていたというのは、結構有名な話です。
先日NHKの「SONGS」という番組でも彼らの特集をやってましたが、フィラデルフィア育ちの二人にとっては、“Philly Soul” (フィラデルフィア・ソウル)と言うカテゴリーがソウルやR&Bの世界にはっきりと確実に存在しているように、そんな音楽を素直にやれることが唯一の願いだったようです。

 

僕もこのブログの中で Boz Scaggs を紹介した際にちょっと触れましたが、「Blue Eyed Soul」つまりは青い目をした白人がやるソウルなどという黒人サイドから見た差別的な表現を込めたカテゴリーが、かつて存在した時期があったのは事実で、実際に都内の大手のレコードショップあたりでも商品がそうジャンル分けされ並べられていた時代がありました。「サウンドやヴォーカルがソウルフルで、それが好きでやってるんだったら肌の色なんて関係ないじゃないか。素直に聞けよ‥」と心中で彼ら同様にそのカテゴライズをあまりにばかばかしいと思っていたのは、当時黒人音楽の魅力にどっぷりと首まで浸かっていた僕も同じ考えでした。

 

Daryl Hall & John Oates – The Way You Do The Things You Do / My Girl
“LIVE AT THE APOLLO” with Temptations legends DAVID RUFFIN & EDDIE KENDRICK (1985)
ダリルとジョンの夢が実現の瞬間!

 

だってそんなこと言ってたら、僕が良く紹介するモダン・ジャズの巨星である白人ピアニストのビル・エヴァンスでさえ否定されてしまうわけですからね。アメリカ南部で産声を上げたジャズだって中西部シカゴ周辺で花開いたブルースだって、すべて元はといえばアフリカから奴隷として売られ、連れて来られた黒人たちの悲しくつらい生活を癒すために生まれてきた音楽や文化であるわけですよね。それゆえ、アフリカン・アメリカンの彼らからみれば主人である白人たちに対して積年の恨みがあるからこそ、白人にジャズをはじめ黒人音楽ができるわけないと主張したい気持ちはよく理解できます。それでも黒人音楽とは懐が深く、ジャズを愛している白人ミュージシャンをちゃんと受け入れ、現代では日本人も含め数多くの人種がそれを演じたり聴いたりして楽しむことができているわけです。だからこそ先日のグラミー賞でも、日本人のジャズのアーティストの健闘振りを見れば、それが良く理解できます。

なんだかちょっと熱くなりすぎました・・反省。
だいぶ話が遠回りしちゃいましたが、話を Hall & Oates に戻します。
今では立派なSOULアーティストとしてカテゴライズされているダリル・ホールが、満を持してソロ名義で1993年にリリースしたフィラデルフィア・ソウルがたっぷりと詰め込まれたアルバム、“Soul Alone” から1曲紹介させてください。どこからどう聴いても、黒人アーティストの作品としか聴こえません。それだけソウル・ミュージックを愛してるんですね。

 

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Daryl Hall / “I’m In A Philly Mood”

 

そうそう日本人でも、僕も個人的に応援している「久保田利伸」というアーティストがいますが、彼も同じで「どうして自分は黒人として生まれてこなかったんだろう・・」と若い頃に本気で悩んだことがあると、インタビューで語っていたのを思い出しました。

そういえば今思い出しましたけど、僕も20代の中頃に訪れたニューヨークで、それに近い感情を持ったことがありました。繰り返しになりますが、10代の後半で Soulミュージックに興味を持った僕は、ある意味自然な流れで黒人音楽のルーツでもあるジャズにも自然と傾倒していったわけですが、どうしても多くのモダンジャズの名作が録音されたNYCのジャズ・クラブをこの目で見て感じたくなり、25歳の時に半分仕事絡みでNYCを訪れることができました。JAZZの聖地とも形容される「Village Vanguard」「Blue Note」を始め、多くのJAZZクラブを回ることができました。

問題はその後、当時は犯罪発生率で悪名高きハーレム地区にある、黒人音楽というかソウルの殿堂とも言われる「Apollo Theater(アポロ・シアター)」を訪れたときでした。
東洋人が一人でハーレムを歩いていること自体が危険なのですが、当時は僕も若くどうしてもそこを見ておかないといけないという強い想いがあり、危険を承知で行ってみました。地図を片手になんとか見つけて入り口を入ろうとした時、『Go away, yellow guy !!』黄色い肌をした奴らが来るとこじゃないんだよ‥ わかるかい、ニイチャン・・みたいな感じで、入り口周辺でたむろしていたギャング風の黒人青年たちから容赦ない罵声を浴びたのでした。彼らからすれば、なんで俺たちの音楽をアジアのやつらが聴くんだよ?知りもしないくせに・・とそんなふうでした。知ってるアーティストの名前を伝え、曲を伝え鼻歌まで歌うと、よくそんなアルバムまで知ってるなって感じで少し打ち解けた途端に、ライブをやっている時間帯ではなかったけれど、『よしついて来い』と言われ一緒に中に入り親切なことに中をちょっとだけ案内してくれました。やっぱり音楽に国境はなかったんです。
何を言いたかったかというと、要は先入観やつまらない枠は取っ払ってしまえということです。

ついでに、Billy Paul (ビリー・ポール)の名曲 “Me & Mrs Jones” を熱く歌い上げるダリル・ホールのYouTubeからの動画も張っておきます。
70年代に発表されたフィリー・ソウル界の名プロデューサーコンビ、ギャンブル&ハフによるこの作品を超えるものは、なかなか出てこないですね。恐るべき Super Mellow な不倫ソングです。
よろしければこちらもお楽しみ下さい。

 


Daryl Hall / “Me and Mrs. Jones” (1994)

 


Billy Paul(ビリー・ポール)のオリジナルは、いつの時代に聴いてもSuper  Mellowです。

 

 

 

 

 

 

「ゆりかもめ」に乗って・・・

週に2・3度ではあるけれど、最近スクールに通うようになったことで、実に十数年ぶりに電車で都内に出かけるようになった。学生の頃から結婚して30になる頃までは勤務先が都内各地だったので特に意識せずしばらく通い続けたけれど、成田空港に異動になってからはもう15年以上も田舎暮らしといって差し支えない住環境に生活している。そのため、どうも都内に出る度に少しばかりイライラしている自分にしばしば気付くことがある。やはり根が田舎モノなので、どうしても地に足が着かない環境下、つまり高層ビルとかマンションだとかモノレールだとか、そういったモノすべてに対して、どんどん苦手な自分になってきているのを自覚するんですね。

昨日展示会のために「東京ビッグサイト」まで行ったのですが、お恥ずかしい話し実は「ゆりかもめ」乗車初体験でした。僕が都内勤務の頃は、汐留とかお台場は『ウォーター・フロント』なんてカッコイイ呼び名などなく、ただの倉庫街と江戸末期の砲台があるただの埠頭でしたからね。変われば変わるもんです。びっくりでした。
20代とかの若い頃でしたら、きっとあんな臨海副都心での勤務や暮らしに憧れたりしたのかもしれませんが、やはり海上に埋め立てた土地に無理に造られた建造物や同じ背の高さの街路樹が整然と並ぶ土地の上では、僕の場合お尻がムズムズしてとても落ち着けそうにありません(笑
そう、たぶん僕はもうずいぶんと前に『トウキョウ』を卒業してしまったんです。そして東京で生まれ育ったカミさんが、不思議なことに我が家で今いちばんその都会が苦手なのかもしれません。おかしなもんですね。

家路を急ぐ途中、その「ゆりかもめ」に揺られながら眺めた東京湾には、あったかい春の陽ざしがたっぷりと注がれていました。キラキラと輝く東京湾を眼下に、iPodから聴こえてきたのはアル・ジャロウのこんな春の陽ざしのような優しい歌声でした。
昨年の夏でしたか、フランスでの公演中に不整脈で倒れ緊急入院なんてことがありほんとに心配しましたが、その後日本公演をやったそうなのでほっとしました。もう70歳ですからね、こんな職人ヴォーカリストは100年に一人くらいしか現れないでしょうから、できるかぎり現役で頑張って欲しいものです。
1978年リリース “All Fly Home” から “All” を紹介します。

 

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Al Jarreau / All
[Hosted by YouTube]

 

 

「東京ビッグサイト」はほんとにBIGでした

今日は、都内の臨海地区にある国際見本市会場の「東京ビッグサイト」に「ゆりかもめ」に揺られ、行ってきました。
何の見本市かというと、『HCJ 2011』といってホテル・レストラン・外食産業とそれを支える厨房機器メーカーや関連事業者が年に一度だけ集結する合同展示会のことなのです。

僕はいま通っているカフェビジネス・スクールの自主参加の校外学習という位置付けで、今後開業するメンバーにとっては避けて通ることのできない厨房機器関連の主な勉強のために、参加させていただいた次第です。

しかしまあ、展示会の規模もさることながら、よくもこれだけの業界関係者が全国から集まったものだと、そっちのほうに感心しちゃったりしました。それから、あたりまえのことだけど「業務用」の道具・機械は目玉が飛び出るほど高価でケタがひとつ違っていてビックリでした。どう考えても、個人店で厨房関連のすべてを新品で揃えるのは厳しいので、中古品や新古品そして家庭用のものを上手に組み合わせてやりくりせざるを得ない気がしました。それが分かっただけでも足を運んだ甲斐がありました。
とにかく、なんでも日々勉強の連続であります。

 

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宙に浮かんだヘンテコな建造物は国際会議場らしいです

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業界の数だけ「展示会」も存在するんでしょうか‥

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製氷機トップ・ブランドの「ホシザキ」はいちばんいい場所を与えられていました

 

三寒四温

ここのところ、急に暖かくなったり寒くなったりとなんだかジェットコースターに乗ったみたいな、春先に入る前特有の気候の変化が見受けられるような気がするのは、僕だけでしょうか?
まさに「三寒四温」の季節ががやってきたような気がします。

数日前に、信州は長野市のお隣の小布施でジャズ喫茶『Coffee & Jazz BUD』を経営されているマスターからメールをいただきました。日増しに日が長くなり、雪景色の小布施にもそろそろ春の気配が感じられますとのことでした。その後のマスターのブログによれば、早くも『春一番』を体験したとのことです。
『春一番』だけは、そこに何年か暮らした人だけにしか分からないもので、いつもの北風とは少し違い南から温い風が吹いたのを体感することで、『おやっ・・・』と、なぜだか感じるものです。もちろん僕にも毎年そんな瞬間がありますが、今夜がそうだったかもしれません。家族で夕食に出かけたイオン・モールの駐車場でそんなちょっとだけ「ぬるい南風」を感じました。

厳しかった冬もそろそろ終わりですね。ちょうどマスターとメールで話題にしてた、お気に入りの Bill Evans の不朽の傑作と賞賛されている、彼の晩年とも言える1988年にリリースされた “You Must Believe In Spring” のアルバム・タイトル曲が似合う季節となってきました。発売された時期がフュージョン全盛期だったこともあり、エヴァンスのファンの中でも、このアルバムは意外に聴いていない方も多いようです。僕自身も、ある書物を読むまでは20年以上もそのアルバムの存在に気付かず、昨年になってはじめて聴く機会を得て、その完璧な演奏と構成にKOされた次第です。

 

Bill Evans / You Must Believe In Spring
[Hosted by YouTube]

 

 

 

学生さんになりました

今日も都内は中目黒にある、“Cafe’s Kitchen” に実技の講座を受講しに行ってきました。
二日前に短期のカフェビジネス・コースに入学し、基本技術から経営的な部分までしっかりと学べるしくみになっており、専門学校は社会人一年目に会社から強制的に通わされた簿記学校以来なので、なんだかとても新鮮な気分です。
そうなんですね、職業:『学生』(期間限定)なのです。

今日は実技講座で紅茶の基本的な知識と、おいしい入れ方を教えていただきました。
しかしながら基本的な知識とはいうものの、内容は相当に詳細で紅茶専門店を除いて、一般的なカフェのオーナーでもおそらく知識として持っていないような部分まで掘り下げて話を聞くことができました。
今日講座でたまたまご一緒した開業を目指す仲間(男性3名)同士で、お互いに入れた紅茶を飲みあって比較したり、良い例・悪い例を先生が具体的に作ってくれたり、ほんとにわかいやすい授業内容となっています。学園長自らしっかりと面倒を見てくれる体制作りは、さすがに卒業生の数2,000名・卒業生の開店実績が200店舗ほどになるだけのことはあるなと、感心しきりでした。TVや雑誌等で先生が引っ張りだこなのは、キュートで魅力的な学園長のキャラクターのせいだけではなく、そのカリキュラムと自信からくるものだと感じました。
おかげさまで、今日は生涯味わった中で最もおいしいHOTな紅茶とアイス・ティーを自分で入れて飲むことができました。
もちろん素材の品質と指導があってこそですが、ほんとに自分でビックリするくらいでした。
なんでもそうですが、『基本に忠実に』がいちばん大事ですね。そして幾つになっても日々勉強です。

 

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こちらがスクールです。2Fはカフェそのもののつくりになっていて自主的に実習もできます。

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目黒川沿いの桜並木  満開になったらさぞ見事なことでしょう  珈琲で花見もいいかも・・・

 

春まだ遠し

今朝の天気予報によれば、関東地方は今夜から雪になるとのことだったので、愛犬との散歩を夕方の分までちょっと多めに歩いた。豪雪地方に比べれば、この程度の雪なんて話にならないと思われるでしょうが、対策が整っていない地域でいざそういう事態になると、これまた厄介なものなんです。何事にも慣れが肝心ですから。

実際に夕方になると、予報通りに雪が舞い始め、あっという間に午後9時ごろには本降りになってしまった。
雪と聞くと、長年身に付いた習慣からか、どうしても空港での滑走路の使用状況やら飛行機の運行状況などに関心がいってしまうのは、しかたないことなのかな。会社のみんなも難儀している頃でしょうか・・ みんなガンバレ。

明日から数ヶ月間都内のスクールに通うことになっており、初日だというのに、いきなり出鼻をくじかれたような感じがしなくもない。まあ慌てず焦らず、僕の計画同様に足元の雪道をしっかりと踏みしめて歩き出すとしましょう。

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Wan Wan ハルハ イズコニ・・    by Pitch

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ウチの目の前の道路 もうだいぶ積もってきましたね

追記:
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そして一夜明けた15日の朝は、こんなでした  しかしよく降りましたね

 

 

『こもれび』 ~ 『ばおばぶ』 の時代へ

先日は僕の大切な場所『喫茶 こもれび』さんのことを取り上げましたが、今日はその後編を。

正確な時期は記憶があいまいなのでわかりませんが、’93年か’94年頃だったと思われますが、当時のマスターSさんご一家が都内に転居されたのを機に、『喫茶 こもれび』は『ばおばぶ』とその名を変え、経営はマスターの知人の方に委ねられることになりました。
その当時は僕もまだ結婚して間もない頃で、結婚のお祝いをしていただいたりと、それまで何度となく家内と訪れていただけに、店名が変わったと知り、一度だけ心配になって様子を見に軽井沢まで足を運びました。そこには僕の知らない女性の店主の方がいらっしゃって、工房にいたはずのYさんの姿も見れず、場所は同じところにあるのだけれど、残念なことに僕の記憶とはまったく結びつかない、「まるで知らないお店」へと変貌していました。「人が変わるということは、これほど違いを生むのか」と、正直ショックでした。以前の『こもれび』さんを知っていなければ、それなりにきっと素敵なお店として感じられるのでしょうけれど・・・」
僕はまたある種の「喪失感」を抱えながら複雑な心境で、碓井峠を下界に向けて車でダラダラと降りてきたことだけをかすかに記憶している。そのときは、『また自分の大切なものを失くしてしまった・・ もう軽井沢に来ることもないだろうな・・』と思うしかなかった。

 

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万葉池(うたいけ)に写りこむ、紅葉に埋もれた『喫茶 ばおばぶ』 (Photo by  ばおばぶMaster)

 

それから約5年ほどが過ぎただろうか、都内で損保代理店業に身を転じ仕事も順調に推移してきた元マスターのSさんから、信じられないような連絡をいただいた。『Yちゃんが、お店(ばおばぶ)の方を本格的に引き継ぐことになったので、よければぜひ行ってあげて』と。一瞬耳を疑ったが、こうしちゃいられないと、当時まだ一般家庭にはほとんど導入されていなかったPCとインターネットを駆使して、『喫茶 ばおばぶ』と検索をかけてみた。当時のやり取りした古い送受信メールによれば、’99年当時「Google」などはまだ存在しておらず「goo」が検索エンジンとして幅を利かせていた時期のようだ。
それはそうと、検索したらとにかくヒットして、しかもHPまである!もう、正直その場で一人で歓声を上げ、ガッツポーズをし小躍りしてしまったのは、恥ずかしながらほんとうの話。内容はといえば、現在のマスターで詩人であり工芸作家でもあり、写真もプロはだしのYさんだけが持つ世界が画面一杯に繰り広げられていたのである。

もうあれ以来軽井沢には足を踏み入れておらず、きっと僕のことも覚えてくれているかどうかも半信半疑だった。でも思い切って、HPにあったアドレスにメールをしてみた。そしてその返信は・・

『まさか、パソコンの中で会えるとは、

思ってもいませんでした。

感激しています。』

まるで数十年ぶりの恋人にでも出くわしたかのように大感激したのはこちらの方で、今すぐにでも飛んで行きたい気分でしたが、それはちょっと難しかったのでした。なぜなら、しばらくお会いできなかったその時の流れの中で、僕ら夫婦はいつの間にか二児の父と母になっていたのです。

そしてその三週間後のある秋晴れのよい日に、チビ二人を連れた我が家一家4人は、新たに生まれ変わった『喫茶 ばおばぶ』の入り口の前に立っていました。
そしてそのときになってやっと理解できたことがありました。
初めて『こもれび』さんに出会った頃に、僕の心にそっと植えつけられた『種』の意味が。『自分もいつかこんな素晴らしいお店のマスターになりたい・・』ということを。
久しぶりの再会に、自分の人生にこれほどまでに大きな影響をもたらすことになった、そんなお店をいつか自分も持てたらいいなと、確信したのでした。

その後、再会後からは年に一・二度は元マスターと現マスターと定期的に会う時間を作り、現在に至っています。ここ数年は、軽井沢では一番いい季節と言われている、新緑が眩しいくらいの6月と晩秋の紅葉の美しい時期にお邪魔させていただいております。

キリがないので、現在の『ばおばぶ』さんの四季のギャラリーを掲載しておきますので、興味をもたれた方はぜひ足を運んでみて下さい。訪れるだけの価値のある場所なのは、僕が保証します。
ちなみに現在は冬季休業中(1/17~3/19)です。

 

詳細はこちらをご参考に ↓
喫茶 ばおばぶ    >>> 現在、『ふりこ茶房』に店名が変わっています

 

以下のギャラリー内画像については、僕が撮ったものとマスターが撮影しメールで送っていただいたものとがミックスされています。

* 尚、「ばおばぶ」ファンにはすでにおなじみですが、マスター撮影の『もみじ』シリーズをはじめ店舗敷地内で撮影した四季それぞれの表情を切り取ったポスト・カードについては、現地でお求めになれます。

 

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なんだかワクワクしませんか・・・     (Photo by ばおばぶMaster)

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店内に入った瞬間、目に飛び込んでくる景色  (Photo by  ばおばぶMaster)

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新緑が目に眩しい季節  雨音を楽しめる梅雨時の風情は心が落ち着きます

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まるでツリー・ハウスの中にいるような気分なのです

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秋を迎えた『ばおばぶ』の佇まい

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美しい錦秋の窓辺

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窓辺の一輪挿し (Photo by ばおばぶ Master)

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晩秋の浅間山と白い家

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深まりゆく『ばおばぶ』の秋 (Photo by ばおばぶMaster)

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浅間山に初冠雪 (Photo by ばおばぶMaster)

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里にも冬の足音が・・ (Photo by ばおばぶMaster)

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凍りつく池  (Photo by ばおばぶMaster)

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いよいよ冬の到来・・  (Photo by ばおばぶMaster)

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綿菓子のような雪景色  (Photo by ばおばぶMaster)

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まるで「もみじ吹雪」  (Photo by ばおばぶMaster)

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ほんわりとあたたかい・・・  (Photo by ばおばぶMaster)

 

 

 

雪中行軍

昨日三連休の初日、小6の次男坊が所属しているサッカー少年団が出場する大会が、雪の降りしきる中開催された。

僕も指導のお手伝いをするようになって結構経つが、雪の中での試合は、そう沢山は経験がない。その分、試合内容やそのときのメンバーの顔ぶれなどが、はっきりと記憶に残ったりするのが、悪天候の中での試合だったりするものだ。
サッカーというスポーツは、天候が「雷」以外の場合は実施されるというのは、基本的に大人も子どもも同条件なのはよく知られていることで、そういう意味では、甘えが一切きかないスポーツなのかもしれない。それゆえ、そういった大会を仕切る主催者側も参加する側も、いつも天候には敏感になってしまい、お互いにゴール設置やコート作成等の協力が求められる。プレーする選手たちも大変ならば、それをサポートする大人たちもそれ以上に大変なのはいうまでもない。

今回の大会は、近隣の市町村から9チームが集いCUPを争う、6年生の卒団記念大会でもある。3ブロックに3チームずつ分かれ予選リーグを行い、その後それぞれのブロックの1位・2位・3位同士で決勝リーグを戦って、勝ち点によって優勝を決めるという、よくある1日で結果を出すための方式だ。

予選リーグは2戦圧勝でブロック1位通過。続く決勝リーグも2勝し、結果4戦4勝・無失点という好成績で、近隣の大会の優勝CUPを手にすることができました。翌日予定されていた、JAバンクCUP茨城県大会の決勝トーナメントに向けて、よい流れで入っていけるなと指導者陣で話していたところ、開催地の水戸方面では翌日も降雪が見込まれるとのことから早々と中止・延期の知らせがあった。残念というかホッとしたというか、やはりお天気には逆らえないものです。

しかしほんとにまるで「雪中行軍」のような一日でした。選手たちも保護者の皆さんも、お疲れ様でした。

 

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はっきり写ってませんが、かなり横殴りの雪が降っています

 

 

 

『喫茶 こもれび』との出会い

今日は、この「地球」という水や自然に恵まれた惑星の中で、僕が最も愛するかけがえのない大切な場所を紹介したいと思います。先にお断りをしておきますが、それゆえ超長編になりそうですがしばしの間お付き合いを・・

『軽井沢』といえば、日本だけでなくもうすでに国際的にも認知された避暑地でありリゾートであることは、周知の通りなので、もはや余計な説明は要りませんね。

『喫茶 こもれび』は、軽井沢の南の端っこ「レイク・ニュータウン」にほど近い町道沿いの雑木林の中に、今から28年も前からそこに静かにそしてひっそりと佇んでいました。
お店に隣接して、『工房 こもれび』があり、民芸品やお店で使用する道具や置物などの木工製品も製作販売していました。

「あれっ、あんなところにお店なんてあったっけ・・」 店の前を車でいったん通り過ぎ途中で引き返して来て、「ガラガラ」と初めてそのお店のガラスの引き戸を開けてから、もうすでに25年以上の歳月が流れてしまったんですね・・・
とにかくお店の中に入ると、格子のガラス窓を通して敷地に隣接した池を臨むテラス席が目に飛び込んできたのを、今でもはっきりと思い出せます。ちょうど秋も深まりつつある頃で、あたりが少しずつ暮れ始めるような時間で少しだけ軽井沢名物の「霧」が出始めたような、ちょっとばかり幻想的なシチュエーションだったと記憶しています。
どうしてもテラスで珈琲がいただきたくなってしまった僕に対応して下さったマスターご夫妻やスタッフの方も、肌寒いのを気遣ってお客様用のブランケットや真っ赤なスウィング・トップを羽織るよう勧めてくださったりと、決しておしきせでないのにほっこりと温かいサービスに、その時初めて触れることができたのです。
それまで生きてきて、お客の立場としてほとんど遭遇することのなかった、お店が発している「温もり」のようなものを、当時店内にもあった薪ストーブのような暖かさと共に、ジワジワと感ることができました。

とにかくすべてに感動した僕は、その後周囲の友人・」知人に『こもれび』っていうすごい喫茶店が軽井沢にあるんだよと、ひっきりなしに語っていたものです。そしてそれからというもの、大学を卒業して社会人になってからもずっと、主に秋の紅葉が美しい時期を含め毎年一・二度は、その時の僕にとって大切な人や友人を連れだってお邪魔するようになっていくのでした。

でも僕はその頃の時点では、なりたての社会人で仕事を覚え先輩たちに付いていくのが精一杯の毎日だったので、そのとき自分の心の中にそっと埋め込まれたその『種』が一体何の種であるのかは、僕自身もまったく分かっていなかったようだ。

 

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開業初期の『こもれび』さんのテラスからの眺め

 

社会人となって二年目、当時新卒で入社した国内大手のエア・カーゴ(国際航空貨物輸送)の会社で、入社前から念願だった1年間限定の「海外研修生」を飛び越え、三年目からいきなりニューヨークに本部を置く米国の海外現地法人駐在の内辞を言い渡された。当時の僕の夢は、子どもの頃から「いつか外国で、できればアメリカの経済・文化の中心ニューヨークで働きたい」といったものだった。コネも何もないところからコツコツと自分なりに努力してきて、もうすぐ「夢が実現するんだ!」といった高揚感で溢れていた頃だった。

そしてその半年後、父親が急逝した。まだ54歳だった。厳しい人だったけど、人生においていつも折りに触れ大事なアドバイスをくれた人だっただけに、残念でならなかった。
一歳上の兄や母親に「今、外国なんかに行かれたら困る・・断れないものか・・」と懇願され正直かなり困惑した。当時の僕はまだ24歳で、五歳下の妹はまだ高校を卒業し短大に入学したばかりだった。当時の上司に事情を話し、大手町にある本社勤務から、実家から通勤できる埼玉に近い営業所に異動できないものかと相談した。「このままアメリカに行くか、会社を辞めるか、答えは二つに一つ。日本の企業はそんなに甘くないぞ。」と諭された。
そして僕は、その半年後の夏に会社を辞めた。と同時に、大きな喪失感と失望だけが僕の心の中に残った。

でもなぜか僕はいつも仲間に救われきたような気がする。というのも、「送別会をお前の好きなところでやろうよ」と、入社時から仲がよく独身寮で同じ釜の飯を食べてきた同期の連中が申し出てくれた。もちろん、「じゃあ軽井沢でもいいかな・・」と提案したのは当然の流れだった。約10名ほどの同期・後輩たちとプリンス・コテージで夜遅くまで飲み大いに語り合った。そして、最後は『こもれび』さんで最高の場所と時間を提供していただいた。あのとき過ごした時間のことは、いまだに付き合いのある古い友人たちもしっかりと覚えているという。そんなところが、『こもれび』さんのすごいところなんだと思う。その際、当時工房で仕事をしていたYさん(現在のマスター)とマスターの粋な計らいで焼いてくれた仲間たちのメッセージ入りマグ・カップは、今ではすっかり変色してしまったけれど、ずっと僕の大切な宝物となっています。

そんな仲間たちと同様に、それからもずっと、心がポッキリと折れそうになったときに必ずといっていいほど、『こもれび』さんは僕の傍でそっと支えてくれました。当時のマスターSさんだけでなくその親友で現在のマスターYさんのお二人には、いくら感謝してもし足りないほどです。本当にありがとうございます。

 

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これがその大切な、だいぶ色褪せてしまった「寄せ書き マグカップ」なんとも懐かしい

 

いつか文字にしてみたいとなんとなく思っていたせいか、身の上話が長くなってしまいました。なんだか、こうすることでやっと吹っ切れたような気がするのは気のせいだろうか。まっ、自分のブログだからいいか・・」
『喫茶 こもれび』さんは、その後マスターのご家族が都内に移り住むことになったのを機に、店名を『ばおばぶ』と変え、お店の経営は一時的に、僕には面識がまったくなかった、マスターの知人の方に移ることになりました。

その後の展開は、また次回に。

 

注: 記事にするにあたりGoogleで検索しましたら、現在同名のお店が静岡県島田市に存在するようですが、そちらとは一切関係がございません。