今日の朝刊を開くと、「天声人語」で先日逝去された映画監督の「大林宣彦」さんのことが取り上げられていた。
(天声人語)大林宣彦さんを悼む
代々医者の家に生まれた大林宣彦さんは、自分も同じ道に進もうと考えたことがある。医学部の入学試験を途中で投げ出し映画の道を選んだが、目指してきたのは「よく効く薬のように人を癒やせる映画」だったという▼「たとえていうなら、外科や内科のような診療科のひとつとして映画科があり、その科の医者になるようなものです」。映画を志す学生たちに投げかけた言葉が著書『最後の講義』にある▼映画監督の大林さんが82歳の生涯を閉じた。記憶に残るCMを生み、青春映画でいくつものヒットを飛ばし、晩年はもっぱら戦争と向き合った。活躍は多面体である。しかし、いい薬であってほしいとの思いは多くの作品から伝わってくる▼
(一部抜粋)
1980年代に大林監督ご自身の出身地である広島県の「尾道」を舞台とした『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の「尾道三部作」は、当時多くの熱狂的な大林映画信者を生み出したことでよく知られている。洋楽や洋画にかぶれていた当時の僕自身は、話題となった「転校生」くらいしか、実のところ観たことがなかった。今になって思えば、おそらく背伸びしたい盛りでイキがっていた年頃だったので、「ファンタジー」的な要素を多分に感じさせる大林さんの作品群には、ちょっと苦手意識があったというのが、きっとその観ない理由だったのではないかと思う。
実店舗『Mellows』をどうやって実現するかといったプランをぼんやりと頭の中で練り始めていた2006年頃、その計画の一環でその頃から頻繁に訪れるようになっていた信州・長野市内で、とある映画撮影クルーに偶然遭遇した。さほどそういったことに熱心ではない自分でも、重要文化財でもある「善光寺」には、なぜか幼少の頃に訪れて以来、妙に心惹かれるところがあって、信州北部を訪れた際には必ず参拝に立ち寄るようにしていた。戸隠も近く、大好物の美味しい「蕎麦屋」さんが点在しているからという理由もあったけれど。
そのときもいつものように、JR長野駅からずっと続く本堂へ向かう参道を歩いていたら、保存修理工事中の「山門」(三門)に程近い場所で、人だかりができていた。映画やTVの撮影時に使われる「カチンコ」の音と、「よーいスタート」の声が、善光寺の参道に響き渡っているのが聞こえてきた。撮影で足止めをされている多く参拝客の後ろから背伸びして覗いてみたら、かつてメディアで時折見かけることのあった声の主は、あの「大林宣彦」監督その人だった。
当然映画のロケ中だとは理解できたけれど、どんな映画を撮影しているのかは、後に参道沿いの土産店主から聞いて知った。かつて1982年に公開された『転校生』のリメイク版、『転校生-さよなら あなた-』(2007年公開)の、まさに撮影中だった。根強いファンの間で使い分けられる、1982年版の「尾道転校生」ならぬ、2007年版の「長野転校生」の方だ。
男女二人の高校生の主人公が、善光寺の「参道」をお巡りさんに追われながら二人乗りの自転車で走るシーンを撮影していたのだけれど、なかなか「大林監督」の「OK」が出ない。演者・エキストラたちはもちろん、助監督・スタッフたちも、かなりの長い時間参道の往来を足止めしてしまっていることに、申し訳なさそうに対応していた。何度かのテイクを繰り返し、ようやく監督のOKが出た。映画の撮影とは大変なんだなと思いながら、監督のすぐ横を足早に通り過ぎようとした際に、なんと『ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。』とご本人から声を掛けてもらった。大物映画監督というのは木製のネーム入りのチェアかなんかにふんぞり返っているものと勝手に想像していただけに、あまりの低姿勢さに「あっ、いえ」としか返答できなかった。あの瞬間に、「大林」さんの何気ない優しさに触れたことを、15年近い時が経過した今でもよく覚えている。PCの中のデジカメ・アルバムを探してみたら、ちょうどその時のスナップが見つかった。
ほんの一瞬の出来事だったけれど、公開後しばらくしてからDVDで映画を鑑賞させていただき、ああこんなシーンになっていたんだと、監督の優しい声を思い出しながらその時のことを懐かしく振り返った。
偉大な映画人であり監督である前に、とても人間臭い方だったような気がしている。
自ら説く「よく効く薬のように人を癒やせる映画」というものを、いずれ時間を掛け遡って鑑賞してみようと思う。
大林監督、どうか安らかにお眠りください。
映画『転校生-さよなら あなた-』予告編
(2007年公開)