なんだか美しい四季を持ったはずの日本から、穏かな季節の「春と秋」が抜け落ち、まるで「夏と冬」とが入れ替わってばかりいるような感覚さえ覚えそうなくらいの、5月最後の一日でした。暑いのが大嫌いなので、ついグチってみました。(夏が好きな方にはゴメンナサイ)
さて、2020年の東京オリンピック開催のために、いよいよあの数々のドラマを生んだ「国立競技場」が今日を最後に、この後解体され新競技場の建替えの期間に入るとのこと。今日実施された「SAYONARA国立競技場」プロジェクトのファイナルイベントの様子が、ニュースなどで紹介されていました。
最近はサッカーの記事をほとんど書くことがなかったのですが、『サッカーの聖地』とも呼ばれる「国立競技場」の最後ともなると、こんな機会も生きているうちに何度もあることではないだろうと思い、すこしその話題に触れておきたいと思いました。なので少々長くなります。興味のない方はどうぞ遠慮なく飛ばしてください。
『天皇杯』や『ナビスコCUP』そして『高校選手権』の決勝戦など、サッカーの観戦で何度も足を運んだことがあったのと、1964年開催の東京オリンピックのメイン会場として誕生した競技場と1963年生まれの僕は「生まれてちょうど半世紀」という点で、以前からなんだか妙な親近感を感じていました。新しく近代的なスタジアム(競技場)として生まれ変わるのはまちがいないんでしょうが、もうあの独特の背筋がシャキっとするような雰囲気の競技場がなくなってしまうのは、なんだかちょっと寂しい気分です。世界的に見ても電車をはじめ公共機関でのアクセスの素晴らしさとは裏腹に、訪れるたびに閉口するほどに老朽化した観客席の椅子にしてもトイレにしても、今となってはそれが「国立らしさ」であり、愛される所以であったのだと思います。日本・韓国共催のワールドカップの際に全国各地に建設された数々の大規模かつ近代的なスタジアムとはまったく異質の「伝統」と「風格」を漂わせているのには、いつも心なしか圧倒されていました。言ってみれば「神社・仏閣」に近いとでも申しましょうか、とにかくそんな印象を訪れるたびに持ったものです。
サッカーだけではありますが、数々の感動的なドラマを目の当たりにしてきた「国立」での思い出の中でも、この二つの決勝戦は思い出深いものがあります。
一つ目の決勝戦は、息子二人とスタンドから観戦した2008年元旦の「第87回天皇杯 鹿島アントラーズ VS サンフレッチェ広島」戦。
決勝に進出したのは、2007年J1覇者・鹿島アントラーズと、J1・J2入れ替え戦に敗れJ2降格が決まったサンフレッチェ広島でした。当時売り出し中の右サイドバックのルーキーの内田篤人(現日本代表)が前半8分に右サイドを駆け上がり、角度のないところからのセンタリングかと思いきやスピードとキレのあるシュートで先制。そして鹿島が優勢のまま前半を終えました。後半に入り、広島は鹿島の守備陣を崩せず、ロスタイムに途中出場した鹿島のダニーロが、ゴール前でボールをキープしたFW柳沢からの最高のラストパスを受け、これまた角度のない左サイドから圧巻のダメ押しの追加点を挙げ、結果「2-0」で鹿島アントラーズが7年ぶり3度目の天皇杯を手にしました。(ニュース映像)
ダニーロは鹿島に移籍する直前に所属していたブラジル・サンパウロFCで10番を背負い、なんと2005年のTOYOTA CUPでは欧州チャンピオンズリーグ覇者のリヴァプールFCを破って世界一になるなど、大変な実績があったにも拘わらず、来日して以来ずっと日本のJリーグの早いサッカーに適応できず苦しみもがいている印象を持っていました。サポーターからは「とんだ期待はずれ」とか揶揄され続けていたそんな真面目で苦労人の男のこれ以上にない「桧舞台」でのダメ押しゴールに、僕は男泣きをしてしまったのをよく憶えています。
確実に自分がシュートもゴールできたはずなのに、左サイドを必死の形相で駆け上がって来るのをボールをキープしながらぐっと耐えて待って、ダニーロに天使のラストパスを出して華を持たせてやった「柳沢敦」の「優しさ」と「男意気」にも胸にこみ上げてくるものがありました。表彰式が終わって、スタンドで待つサポーターに挨拶に来た柳沢がその試合で履いていたスパイクをスタンドにそっと投げ入れ、そして彼はそのシーズン終了後に、自身の出場機会を求めて京都サンガへ移籍することになりました。そんな忘れられない感動的な熱いドラマがあった、第87回天皇杯・決勝戦でした。
そして二つ目の決勝戦が、2009年・第87回全国高校サッカー選手権決勝戦 「鹿児島城西 VS 広島皆実」。
終始「何があっても慌てない」落ち着いた印象のイレブンを擁した広島皆実が、大迫勇也一人が気を吐く格好の鹿児島城西に、結果「3-2」で競り勝ち、初優勝を果たしました。
敗れた鹿児島城西のFW大迫勇也は、前半20分に相手DF5人に囲まれながらゴールを決めてその大会通算10得点とし、前人未到だった大会最多得点の新記録を樹立しました。大迫は表彰式で、「優勝しかないと思っていた。正直、銀はいらない」と準優勝メダルを途中から外し、その後少年サッカーも含む若い年代層の各種大会において、2位・3位チームのメンバーが銀メダルや銅メダルを首から外すという「よろしくない行為」を真似するプレイヤーが全国で続出するほどの、 ケタ外れなインパクトを与えた選手でした。余談ではありますが、この日の試合には、当時指導のお手伝いをしていたサッカー少年団の子どもたちを引率して観戦していたので、大迫選手のあの行為については指導者一同困惑してしまったものでした。
大迫はこの直後の高校卒業後に鳴り物入りで鹿島アントラーズに入団するも、プロの世界は想像以上に厳しく、2012年のロンドン五輪のアジア地区予選・日 本代表メンバーには入るものの、本大会への召集はありませんでした。彼にとっておそらくその悔しさは、あの高校選手権での屈辱と同等のものだったのではな いでしょうか。
努力を重ねた大迫は、2013年の東アジアCUPで代表に選出されてから、その後の欧州遠征でもオランダ戦で1得点1アシストを記 録したりと、ザッケローニ代表監督の目にも留まるようになりました。そして2014年1月になって、ドイツ2部のTSV1860ミュンヘンへの完全移籍が 鹿島から発表され、2017年7月までの3年半の契約を結び、移籍後リーグ戦初出場となったデュッセルドルフ戦で初得点を決めました。出場機会を考慮した上 でのドイツ2部への移籍は、ワールドカップ・ブラジル大会メンバー入りを実現した彼にとって、今となっては最良の選択だったのかもしれません。本大会では、これまでの悔しさをバネに大いに暴れまくってもらいたいものです。きっと数年後には、間違いなく「日本代表」を背負って立つFWとなることでしょう。
観客としてあるいは一選手として「国立」を訪れたことのある人々にとって、きっと皆さんそれぞれ沢山の嬉しかったり悔しかったりする思い出があることでしょう。
素晴らしい競技場との出会いに感謝しつつ、これから建設の始まる「新競技場」が世界に誇れるものとなるよう願っています。
サヨナラ、そしてアリガトウ、国立!