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僕のブログはなぜ長いのか

 

カフェ開業に向け、ラストスパート中の Master です。

なんだかんだで以前のFC2さんで運用していた頃からですから、僕のブログ生活も早いもので、退職直前の昨年の12月からなので、まもなく一年を迎えようとしています。もともとは、会社を辞めた自分のことを心配してくださる友人や知人の皆さん(中には遠方や外国に住んでいる方もいらっしゃるので)への近況報告に利用しようという目的が一つと、約半世紀近く生きてきた自分が組織を離れ、日々何かを書き綴ることを通して、これからどこに向かい何をしようとしているのかを、迷ったり困難にぶちあたった時にいつでも振り返ったり、初心に戻れたりできるようにとの意図がありました。

 

     「メロウズ」流 活け花?です(笑)     もみじのように生きたいです

 

皆さんお気づきのように、僕のブログは文字数も言葉数もかなり多いんです。普段からマンガばかり読んで読書をする習慣のない人などからは、あからさまに『長すぎて読む気にならない』『目が疲れて眠くなりそう..』などなど、いろいろ指摘をうけることもしばしばです。でもぼくにはそんなこと一切関係ないんです。なぜなら、こんなブログでも自分の人生の一部であるわけで、明日自分の身に何かあっても、あの日あの時この人はこんなことを思い、考え、生きていたんだなと、家族や身近な人が感じてくれればいいんです。つまりは大袈裟なようですが、「生きた証」みたいなものです。

僕は社会に出て2年目で、家族にとって大切な父親を亡くしました。平均余命の伸びた現代であれば「アクティブ・シニア」などと呼ばれる世代の方々より若い、たった54年で人生の幕を閉じました。
そのとき思ったのが、「もう少しいろんなことを話したかったなぁ」とか「親父はいったいそれまで何を考え、何を思い、何に希望を見出して生きていたんだろう..」と、そんなことを自問自答する日々がその後ずっと続いてきました。日記などをつける習慣はなかったので、あれこれと記憶を辿り想像するのが精一杯でした。
自分が父親となった今では、なおさらそれを強く感じていますし、あの時代にブログでもあればよかったのになどと思うこともあります。

本題から少し逸れましたが、ブログであれ何であれ、自分が何かを外に向けて発信し、見知らぬ誰かがそれを見たときのことを想定し、『きちんと、しっかりと誤解のないように、思いや考えを伝えたい』というのを基準にしているだけなんですね。
それゆえ、どうしても「文字」も多くなり、長くなりがちなんです。僕の大好きな『天声人語』の編集委員さんのように、限られた字数の中で、うまく伝えることができるような芸当でもあればいいんですが、残念ながらそれは厳しいですから。(笑)

それでも、今回の独立にあたり、取引をする企業の社長さんや従業員の方々がこんなブログを熱心に訪れてくださり、『応援してますよ!』ってメールくださったり、おかげで交渉がスムーズに運んだり、好条件のオファーをくださったりと、日々嘘を言わず真っ直ぐにまじめにコツコツと、一期一会を大切に今日までやってきたからなんだと信じています。

こんな男ですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。