今朝の「天声人語」で昨日(10/15)から『新聞週間』が始まったと知った。
「新聞週間」ってなに?という方が多いと思うので、詳しくはこちらを。
思えば、僕は高校に入学してすぐに、ある目的があって早朝の新聞配達のアルバイトを始めた。それは生まれて初めて体験したアルバイトであり、言うまでもなく愛読していた「朝日新聞」のだ。小さい頃から「新聞を読め」と言い続けてきた今は亡き父親の猛反対で、三ヶ月程度で新聞配達のバイトは終わってしまった。当時は当然インターネットもPCも携帯すらなくTV・ラジオ以外は「活字文化」がすべての時代であり、自分にとってとにかく素晴らしい社会勉強となったので、まあ、それはそれでよかった。
それから時が流れて約30年後、会社を辞め独立・起業した際に地元支局の記者の方からの要請で、地方版とはいえ自分が記事の対象となるとはよもや予想もしなかった。父が存命であれば一体なんとコメントしたであろうか。いずれにせよ、僕と「朝日新聞」とは、そんな不思議な関係なのだ。
話がそれてしまった。
10年に一度の猛烈な台風が接近しているのを予想した上での、「天声人語」を執筆している編集委員さんの温かい文章に、ほんの一時期とはいえあの頃大雨の中でカッパを着込んで通学用の自転車で一軒一軒配達して回ったのを思い出し、ジンときてしまった。
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「いつの日も 真実に 向き合う記事がある」を今年の標語にして新聞週間が始まった。高らかな理念も、しかし、新聞配達という仕事なしにはありえない。日本の新聞の95%は戸別に配達され、それを全国の37万人が担っている。今日のような朝は、とりわけ頭の下がる思いがする▼同時に、どうか無理せずにと祈りたくなる。大型の台風26号は、ちょうど新聞が届く未明から朝に本州に近づく。「苦労に報いるコラムを書いているか」と自問したくなるのはこんなときだ▼日本新聞協会が毎年募集する「新聞配達のエッセー」を読むと、ねぎらいを寄せてくださる読者は多い。青森県の長山和寛君(15)は、3・11の翌未明に、凍(い)てつく道を歩いて届けてくれた若いお兄さんが忘れられないと書いていた▼配達員も思いをつづる。長野県の豪雪の村で、早く起きて自宅前に道を作ってくれるおじいさんがいる。道路から離れた家々では、道端に冬用の新聞受けを出してくれる。人々の温かさで続けられている、と村山由美子さん(62)は感謝を記す▼社会をゆさぶる調査報道も、キャンペーンも、読者に届いてこそである。バイクの音、新聞がポストに落ちる音で一日が始まる人は多い。届けるという行為の素朴さが、夜明けの匂いを連れてくる▼今朝は多くの地域で嵐をついての配達となるだろう。その安全を願うのに自社も他紙もない。お手もとに届いた新聞は、皆さんの前で少しほっとした風情かも知れない。人の心を映すように。
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招致の決まった「東京オリンピック」のプレゼンで、滝川さんが日本流の「おもてなし」をアピールし話題となったが、むしろ日本人の美徳はそれよりも『お・も・い・や・り』なのかもしれない。
便利なネット社会が瞬く間に形成され、スマホやタブレットやPCで新聞は見たい記事だけを読める時代になった。リアルな新聞の最大の利点はいわゆる「関心のない分野」にもふと目がゆくことではないだろうか。そうして、世の中のことに興味を持ち多くのことを知るきっかけが生まれるわけだから。
職場の若い世代の人たちの間では、新聞を読む習慣がまったくない人たちも多いようだ。
そう、「新聞週間」よりも『新聞習慣』の方が大事かも。(笑)